お彼岸の墓参りは、春分の日の前後3日に

春分の日には、太陽は真東からでて真西に沈みます。


こちらの世界(此岸、しがん)が、あちらの世界(彼岸、ひがん)に
最も近くなるので、先祖も近くなります。

春分の日の前後3日ほどが、オススメといわれています。

分の日は、
  昼時間と夜時間を
  同じ長さでけています。

3月23日、2015年。シンガポール建国の父リー・クアンユー没

リー・クアンユー(李光耀、Lee Kuan Ye)は、35歳でシンガポールの首相になりました。
シンガポールは、東京23区の大きさで、人口5百万です。
英語を標準語にし、教育に多大の投資をし、教育レベルを引き上げました。
「国家は人権に優先する」との強権で、アジア1の豊かな国をつくりあげました。

アジア金融の中心地、貿易拠点、グローバル企業の拠点として、政治の腐敗もなく、経済成長の恩恵が国内に行き渡りました。



逸材を輩出する中国のユダヤ人・ハッカ(客家)


谷中銀座を歩く

谷中銀座を歩く

所要時間  2時間

ルート
日暮駅北口--- 夕焼けだんだん--- 谷中銀座--- 三崎坂(さんさきざか):全生庵---谷中霊園:徳川慶喜、五重塔、天王寺---日暮里駅南口

その他:朝倉彫塑館    築地塀(ついじべい)  下町風俗資料館  

日暮駅北口から寺町を通り、「 夕焼けだんだん(夕日の名所)をすぎると谷中銀座です。


谷中銀座商店街    谷中銀座商店街  【6+】


街歩きの作法
・ゴミはご購入店舗にお持ちください
・写真を撮る時は一声かけましょう
・商店街にトイレはございません
・谷中マップで場所をご確認ください
・【※】お寺をたずねる際は、迷惑をかけないように注意してください。

谷中銀座の特徴  1日ほぼ900人
・170メートルに70店舗、個人商店多し
・昔ながらのご近所づきあい=古き良き時代の懐かしさ
◎ お客様との距離、お店同士の距離が非常に近い
・食べ歩きが魅力
・イベント多し
・谷中七福猫あり
・周囲に歴史ある寺社仏閣多し

歴史  

危機の歴史:アイデアと工夫で危機を乗り越える

1945年 自然発生
1 1968年 千代田線の千駄木駅開通による通行量の激減
2 1977年 近隣への大型スーパーの進出
3 1985年 コンビニエンスストアーの開店

・1988年より、谷中・根津・千駄木の界隈が「ヤネセン」と呼ばれるようになる。
・1996年、NHKのテレビ小説「ひまわり」の舞台に。
・1999年、に商店街外観整備、
・2001年、ホームページ開設、
・2006年、日よけの統一や袖看板の設置
・2008年、谷中七福猫
・2016年、理事の方々が次世代にバトンタッチ。40代半ばの理事長を中心に、2、3代目が参加。

谷中霊園案内図    徳川慶喜墓  著名人の墓


鎌倉新仏教6宗

空海コラム

・・・・・・・・・・・

仏教は、飛鳥・奈良朝では、国家統一の原理でした。
聖武(しょうむ)天皇が、東大寺に大仏をつくったのもこのためでした。

平安時代には、王朝貴族たちは、祈祷(きとう)などによる現世利益(げんざりやく)をせがみました。
最澄の天台宗、空海の真言宗はこれに応じざるを得ませんでした。
そのため高度な宗教性をなくしました。

このあと、鎌倉新仏教6宗が登場します。


鎌倉の新仏教  6宗

浄土宗       法然 1133-1212
浄土真宗    親鸞  1173-1262
時宗         一遍 1239-1289
日蓮宗 日蓮 1222-1282
臨済宗 栄西  1141-1215
曹洞宗 道元 1200-1253






シンガポールの屋台がミシュラン入り

シンガポールの屋台がミシュラン入り 

Viewpoint 編集局  2017/3/06(月)

  昨年、ミシュランガイドのシンガポール版が初めて発行された。

 シンガポール版で異色なのは、2軒のフードコート屋台が一つ星を獲得したことだ。

 さっそく掲載された屋台は開店時間の午前10時前から長蛇の列だ。

 とはいうものの、もともとこの店は星を獲得する前から、行列のできる店だった。

 そもそも、シンガポールにはそれこそ星の数ほど、屋台は存在する。その中から浜の真砂から1粒の砂を取り出すように、どうやって星指定の店を見つけだしたのか疑問は残る。邪推すれば、もともと人気店だけを回って省力化を図ったのではとも考えられる。

 ただその一店に出掛けた旅行者の話を聞くと、甘いしょうゆだれの鶏がのった1皿160円のチキンヌードルは絶品だったという。

 待った時間は2時間だったというから、この時間もうまさを底上げしたもようだ。

 何せ、最高のごちそうが空腹時の食というのは世界共通だ。ミシュランの星は、店の前に長蛇の列を作り、待ち時間の長さに比例して、ますます星の輝きを増すという好循環が生まれる。

 なお、ミシュランガイドのタイ版が今年中には出版される見込みだ。その暁には、世界一安いミシュラン星付きレストランはシンガポールのフードコート屋台からバンコクの屋台に変わる可能性が高い。

(T)

川越藩主・松平大和守家の廟所は付け足し築造 喜多院で保存整備

川越藩主・松平大和守家の廟所は付け足し築造 喜多院で保存整備

2017.3.7 sk

 川越藩で約100年間、7人の藩主を出した松平大和守(やまとのかみ)家の廟所(びょうしょ)の保存整備工事が川越市の喜多院で進んでいる。工事に伴う発掘調査で、喜多院に築造された同家5、6,7,8代と10代の5藩主の廟所のうち、ひと続きの基壇上にある北側の4基は最初に5代廟が独立して建ち、その後6~8代廟が増設されていったことが分かった。工事は平成30年度まで行われ、創建時の廟所の姿に復元される。(石井豊)
                 ◇
 松平大和守家は徳川家康の次男、結城秀康(ひでやす)の5男、直基(なおもと)が藩祖。同家が川越藩主だった明和4(1767)年から慶応2(1866)年までの間、7人いた藩主のうち、川越で亡くなった5代朝矩(とものり)、6代直恒(なおつね)、7代直温(なおのぶ)、8代斉典(なりつね)、10代直候(なおよし)の5藩主が喜多院に葬られている。

 廟所はそれぞれ石門と五輪塔、石碑(神道碑)などからなり、関東大震災などで被害を受け、近年は石門の屋根や石扉が外れ、五輪塔の建つ基壇がゆがみ、一部の五輪塔は傾くなど傷みが進んだ。修復を望む地元の有志らが寄付を集め、行政の補助を受け26年度から保存整備工事が始まった。

 市文化財保護課によると、溝を掘るトレンチ調査で、ひと続きの基壇上にある5代廟と6代廟の間で地下約70センチの深さに基礎石を発見した。5代廟の西側を区画したものとみられ、5代廟が当初は独立廟だったことが明らかになった。このため、8代までは西側に廟所を付け足して増築。8代の西は堀になるため、10代の廟所は4基の向かいに建てたとみられるという。

 同課の山田雄正学芸員は「5代は前橋から川越に移って亡くなり、急な廟所の造営に迫られ、喜多院にお願いして作った。通常、一人の殿様は独立した廟所だが、敷地が狭かったため6代以降は西側に付け足し、基壇も先代に踏襲して同じように作り、ひと続きに合体したのでは」と話す。

 2月18日には現地見学会が行われ、同課職員らが整備工事の概要と発掘調査の成果を報告。参加した市民らはメモを取るなど、熱心に見学して回った。

 保存整備工事は5、6代廟が解体調査と修理を終え石門に屋根や石扉が復元。今年度中に7、8代廟も終了し、29年度は10代廟の解体修理が行われる予定。

クルトン体操で、膝関節を柔軟に

クルクルトントン体操。【動画】膝関節を柔軟にするストレッチです。

1 丸めたタオルを片膝の下に置きます。

2 太ももを両手でもち、くるくる回します、10回。

3 次に膝をトントンと床に打ち付けます、10回。

以上を3セットおこないます。


クルトン体操  【画像】

シンガポール観光V字回復 航空機事故で低迷も1年で盛り返し 収入2兆円

シンガポール アウトバウンド データ
   

2017/03/01
シンガポールは、観光分野が2016年にV字回復を果たした。シンガポール観光局(STB)によると、16年に同国を訪れた外国人旅行者数は前年比7.7%増の1640万人、観光収入は同13.9%増の248億シンガポール(S)ドル(約1兆9857億円)となり、いずれも過去最高を更新した。現地紙ストレーツ・タイムズなどが報じた。

【関連サイト】シンガポール政府観光局
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シンガポールの買い物の中心地、オーチャード通りの階段に座る人々(ブルームバーグ)
シンガポールを訪れた外国人旅行者と旅行者からの観光収入は、世界経済の低迷や東南アジア地域内での航空機事故などの影響を受け、15年に6年ぶりの減少に転じていた。16年は、中国、インドネシア、インドといった主要な旅行者の在住国の経済が比較的堅調だったことなどから、1年で盛り返した格好だ。

16年の外国人旅行者の在住国をみると、インドネシアの289万4000人(前年比6%増)が最多で、以下、中国が286万4000人(同36%増)、マレーシアが115万1000人(2%減)と続いた。

観光収入は、中国人旅行者からの28億1200万Sドルが最も多く、以下、インドネシア人が19億3900万Sドル、インド人が11億2500万Sドルだった。STBは中国人旅行者の急増について、北京、上海、南京、アモイ、瀋陽といった大都市で重点的に宣伝活動を行った成果だと分析した。

16年1~9月の観光収入の内訳は、買い物が43億1200万Sドルで前年同期比48%増の急回復をみせた。その他では、宿泊が同28%増の41億8600万Sドル、飲食が21%増の21億3900万Sドルと盛り返した一方で、観光・娯楽・カジノが16%減の32億8800万Sドルとなるなど、苦戦した分野もみられた。

また、通年のビジネスイベントによる収入が前年比28%増、クルージングの旅行者数も同16%増で120万人を記録するなど、政府が観光で期待する新分野も好調だったもようだ。

STBは17年の観光分野について、旅行者数が1640万~1670万人、収入が251億~258億Sドルと予想している。(シンガポール支局)

NHKドラマ 女城主 直虎


地図作成のページ




出典:白地図専門店 加工:navicon

三土辰郎: くらべ地図

大河ドラマ「おんな城主 直虎」。戦国時代の勢力図

大河ドラマ「おんな城主 直虎」。戦国時代の勢力図


大河ドラマ「おんな城主 直虎」第8話は女の争い!?背筋も凍る戦い…かと思いきや、その戦いが出来る井伊は“平和”だった?
navicon。02月25日

直虎の時代の他の地方の勢力図をご紹介!
日本史で習ったあの戦国武将が、あの事件が、実は同時期に起きていた!?
戦国時代の勢力図がわかれば、ドラマが2倍楽しくなるはず!


検地の騒動はあったものの、何とか収まり、直親の世継ぎ問題はあるものの井伊は平穏の時を迎える。まさに嵐の前の静けさ。その後に控える桶狭間の戦いに備えるかのように平和な時が流れるという。
しかし、一歩井伊谷の外に出ればそこは戦国の世。日本各国で群雄割拠、多くの戦乱が起きていた。
今週と来週の2倍楽しむでは、この時代、1560年ごろの世の状況を2週にわたってご紹介。日本史の教科書的にはどんな時代なのかを見ていくことで、井伊谷の状況にも新たな発見がある、かも。

■東北地方~伊達氏によってかき乱された?統治に努めた雪国武将たち~ 
まずは現在でいう東北地方から。東北地方で有名な戦国武将と言えば伊達政宗が有名な伊達氏や芦名氏、最上氏、長尾氏、佐竹氏などが有名どころ。と言ってもあまり知らない、という人も多いのでは。それもそのはず。京都から離れた東北地方では全国統一を目論む武将よりも、自国の繁栄をするために活動した武将の方が多かったという。
そのため、地元では有名でも全国的には有名ではない、という武将が多いのが特徴的である。そんな東北地方において全国区の知名度を誇るのが伊達氏である。

東北地方 勢力図出典:白地図図鑑 加工:navicon伊達氏では1536年、14代当主・伊達稙宗が当時としては最大規模の分国法・塵芥集を制定。国内の統治に努めたが、この国内重視が仇となりお家騒動が発生する。稙宗の嫡男・晴宗を擁立する家臣の一部との間で天分の乱が勃発したのだ。これが1542年から1548年ごろの出来事。丁度、井伊氏では直満が小野に謀殺されたと言われている頃である。
この天分の乱は東北地方全体を巻き込むような大騒動に。その結果、晴宗が伊達氏当主となったのだが、長引く戦乱により伊達氏の勢力は縮小。統治していたはずの諸大名の独立を許す形となった。伊達氏は米沢城に拠点を移し、伊達政宗の出現まで、影をひそめる存在となった。その結果、東北地方の勢力図は図の通りとなったと言われている。

■関東地方~戦国時代の恐ろしさがわかりやすい地域No.1?北条氏に大注目~
関東地方 勢力図出典:白地図専門店 加工:naviconそんな東北地方のお隣、関東地方。そこで勢力を誇った戦国武将と言えばなんといっても北条氏。北条早雲に始まり小田原城を中心に関東地方に勢力を誇った名家である。
そんな北条氏に加え、長尾氏、武田氏が絡むのが関東地方の戦乱の図。もともと、この三氏は駿河の今川氏も交えながら敵対していたのだが、この勢力図に大きな変化が起きたのが1554年のこと。ドラマ内でもあった通り、今川、武田、北条の3氏が同盟を結ぶのだ。
甲相駿三国同盟である。これは歴史上大変大きな出来事であり、武田氏、北条氏は長尾氏(上杉氏)との戦いを本格化させることが出来、今川氏は戦う対象を織田氏に絞ることが出来た。
その結果、北条氏の領土はさらに拡大、隆盛を極めた。が、裏では北条を討伐する動きが。それが実際に行動に移されたのが小田原城の戦い。北条、武田の元、息をひそめていた長尾景虎(のちの上杉謙信)が北条討伐軍へ向けて出陣。関東の名家たちがこぞって長尾の下へ参陣。一気に長尾氏の勢力が拡大していく。
実は、この戦いが行われたのは桶狭間の戦いと同年1560年。奇しくも甲相駿三国同盟のうち二国はこの年から勢力を縮小していく。
その勢力縮小前の領土図は示した通り。特に小田原城の戦いでは、たった一年で北条の領土が一気に半分ほどになってしまうのだから戦国時代は恐ろしい。

■東海地方~有名武将の宝庫!最も大河ドラマになる地域?~
東海地方 勢力図出典:白地図専門店 加工:navicon日本の中心、東海地方は戦国武将の宝庫である。ドラマで重要な今川氏はもちろん、武田氏、織田氏、上杉氏、真田氏など大河ドラマの題材にもなった有名どころが名を連ねているが、1560年ごろは武田、今川、斎藤の領土がほとんどである。しかし、そこに至るまでにも様々な戦いがあった。
例えば、1555年。井伊谷では亀之丞の帰還で祝福ムード一色だったころ、武田氏は最強の武将・武田信玄が筆頭に度重なる長尾氏との戦いを行い、一方で、木曽を下していた。
その翌年1556年には東海の有力武将・斉藤道三が嫡男・義龍によって討たれている。
そして、桶狭間の戦いの前年1559年に織田氏が終わりを統一。とはいえ、まだまだ小さな領土。そんな1560年ごろの勢力図は御覧のとおり。誰も織田がものの20年後に日本の中心部を掌握する武将だとは思わなかったことだろう。

と、ここまで東北、関東、東海と、大変簡易な勢力図を見てきたが、数多くの戦国武将が存在していたのがわかるだろう。
これがものの30年後には豊臣秀吉によって一色に染められてしまうのだから、いかに直虎が生きた時代が激動の時代だったのかお分かりいただけることだろう。
近畿、中国、四国、九州は来週見ていくこととするが、ドラマ内、井伊の穏やかさが、どんなにつかの間で幸せなことだったのか。その平和さをかみしめながらドラマを楽しみたい。 

「Google翻訳」のAR翻訳機能が30言語に対応!リアルタイム翻訳が面白すぎる

カメラをかざすだけ!「Google翻訳」のAR翻訳機能が30言語に対応!リアルタイム翻訳が面白すぎる  2017/02/26 vrinside