邪馬台国は、魏の国際戦略に組み入れられていた
邪馬台国は、魏の国際戦略に組み入れられていた 魏と邪馬台国 桑原政則 三国時代の魏(220 - 265)は、呉と蜀(しょく)を牽制する必要がありました。 中国お得意の遠交近攻の策 をとります。 ・魏は、邪馬台国 (やまたいこく) と手を結び、呉をハサミ打ちにしようとします。 ・魏は、クシャーナ朝(大月氏、イラン系)と組み、蜀をハサミ打ちにしようとします。 魏が王号の金印を紫綬したのは、 邪馬台国とクシャーナ朝 のみです。 金の印鑑は、破格の扱いを示します。 【※】中国のお家芸 魏の使いは、3世紀の半ばに、4回も邪馬台国を訪れています。 『三国志』に2000字もあてて、「魏志倭人伝」という章を立て、邪馬台国を紹介しています。 日本をしっかり利用、活用、傘下に入れるするためです。 海の苦手な魏は、海の呉を攻めるのに、どうしても海に囲まれた邪馬台国が必要でした。 後に、魏は「赤壁(せきへき)の戦い」で呉に敗れます。 邪馬台国は、日本が始まったころ、すでに国際潮流の中に投げ込まれていました。 しかし、多民族による支配、蹂躙がないので、 平和で自己完結的な社会をいとなんでいました。 ◇ ◆ ◇ 魏は、邪馬台国は呉の向かい側にあると誤解していました。 台湾も邪馬台国に入っていたのでしょうか。 「魏志倭人伝」の謎の「水行十日」を解くカギもここにありそうです。 <* 海の苦手な中国が台湾を発見したのは、江戸時代に入ってから です。> 実際に邪馬台国が、呉の対岸にあり、呉と戦っていたら、邪馬台国は滅んでいたかもしれません。 「邪馬台国問題」は、「日本の存亡問題」です。 今の【問題】でもあります。 ◇ ...