ラストベルトとは、さびついた工業地帯


ラストベルトとは、脱工業化が進みすぎて、時代遅れになった機械、工場、労働者がまん延する地域。ここの人たちがトランプの支持者となりました。

【※】Rust Belt:さびついてしまった斜陽産業があつまる工業地帯。イリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア州


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Rust Belt 2  

【※】日本でも、いずれロボットが仕事を

日本の仕事の5割は、ロボットが取って代わります。nk2017-04-23




タニン・チャラワノン。タイ最大の企業をグローバル展開 。

タイ最大の企業、日本の食卓変える。 華僑人脈でグローバル展開
タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(1)

 「私はCP(チャロン・ポカパン)グループ会長のタニン・チャラワノンと申します。CPはタイで一番大きな民間企業グループであり、畜産などの農業・食品コンビニエンスストアなどの小売り、携帯電話などの通信の3事業を主に営んでいる。私は創業者の息子で、父から数えて4番目の経営者となる」

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 CPグループは100カ国以上で商品を販売し、2015年の売上高は約450億ドル(約4兆6千億円)に達した。事業拠点は東南アジアから中国、欧米に広がる。世界16カ国に投資し、30万人以上を雇用する東南アジア屈指の多国籍企業だ。といってもどんな企業なのかすぐには理解できないかもしれない。

 日本のコンビニエンスストアの総菜コーナーでCPの製品を簡単に見つけられる。鶏肉や豚肉を使った総菜がパックに入って売られているが、商品を裏返してみてほしい。黄色の円のなかに赤い字でCPと記されたマークがあればそれは当社が生産に携わった商品だ。

 こうした商品はCPフーズが日本のコンビニや食品企業と手を組み、タイで半加工して輸出している。CPは日本の食卓を変えた企業とも呼ばれる。我々は1973年にタイから鶏肉を日本に輸出し始めた。80年代にはエビの養殖にタイで成功し、やはり日本への輸出を始めた。日本の消費者に鶏肉やエビを手ごろな価格で提供し、鶏の空揚げやエビフライを気軽に食卓にのせられるようにした。

 実はCPグループにはもう一つの名前がある。正大集団だ。中国が78年に対外開放政策を始めると、CPは真っ先に中国に進出した。広東省の経済特区の深圳に登記した第1号の外資系企業がCPだ。以来、中国では正大集団の名前を使っており、正大という名前を知らない中国人はいないほどだ。

 中国事業はグループの4割近い売上高を占めるほど大きい。なぜタイの企業が中国に深く浸透できたのか。創業者である父、謝易初は中国広東省生まれの華僑だ。父はタイなど東南アジアと中国を行ったり来たりしながら、事業を大きくした。CPは中国とビジネスや人脈で結ばれてきた。

 我々謝家の兄弟姉妹はタイで生まれたが、父は子供たちに中国名を授けた。長男の中国名は正民、次男は大民、三男が中民、そして私が国民だ。4人の名前の最初の漢字を取って並べると「正大中国」になる。

 さらに父は子供たちにタイだけでなく中国でも教育を受けさせた。だから12人の兄弟姉妹はタイ語はもちろんのこと、中国語も自由に操れる。経営者として父の跡を継いだ我々は華人華僑や中国人と自然に付き合え、中華圏での事業をすばやく展開できた。

 そして何より、CPの発展はタイ人に支えられてきた。異国出身の謝一家を温かく迎え、チャンスを均等に与えてくれた。タイは政治的に中国と対立した時期もあったが、華人華僑を追い出そうとはしなかった。父が文化大革命開始前後にすべての中国事業を失っても、タイがCPを支えてくれた。タイに本拠を置かなかったら今日のCPはなかった。

 国境を越えて事業を広げる華人華僑、それを受け入れるタイ人。私の半生がグローバル時代を生きるうえでのヒントになれば幸いである。

(CPグループ会長)

【※】
日本経済新聞の『私の履歴書』にタイ人としてはじめて連載。

私の履歴書(タイ・CPグループのタニン・チャラワノン会長) 一覧
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タニン・チャラワノン wp
CPグループ タイで最大のコングロマリット

タイの消費財王・ブンヤシット氏

タイの消費財王・ブンヤシット氏

アジアひと未来 第6部  インタビュー 日経 2017/4/6付 

 1955年。大阪・心斎橋に降り立った18歳のタイ人青年は、初めて見る地下鉄や色鮮やかなネオンに目を丸くした。敗戦から10年。日本は高度成長の入り口に差し掛かっていた。


 「参考にしてタイも発展できるんやないかと思った」。62年前に抱いた思いをブンヤシット・チョクワタナー(79)が関西なまりの日本語で振り返る。会長として率いるサハ・グループは今や即席麺から洗剤、衣料品まで3万点を超す製品を手掛け、本人は「タイの消費財王」の異名を持つ。

 前身の雑貨問屋を興した父に商才を見込まれ、大阪で6年間、商品買い付けに奔走。欧米製の万年筆やベルトの模倣品を日本企業に発注し、タイへ持ち込んだ。帰国後は製造業への進出を任された。62年にライオンと粉末シャンプーの合弁工場を立ち上げて以来、日本企業のタイ進出の水先案内人となった。

 「欧米はタイの中小企業なんて相手にしなかった」。消去法で選んだ日本だったが、それ以上に大阪で学んだ「信用第一」の商道徳にひかれた。

 嗅覚は鋭かった。雑貨の次に目をつけたのは女性下着。タイでも化粧をする女性が増え、「美」の意識の変化を感じていた。大阪時代のつてをたどってワコール創業者の塚本幸一に直談判。「あんたにはかなわんわ」。3年越しで首を縦に振らせ、70年に合弁会社を設立した。

 最初は売れなかった。着物文化が残る当時の日本人女性と違い、タイ人は豊満さを強調したがった。リゾート地へ出向いて何百人と採寸し、自国向け商品を作り上げた。

 キユーピー、ミズノ、ローソン……。半世紀余りで設立した日本との合弁は80社を超す。3月にもアパレル大手ワールドと「タケオキクチ」のタイ1号店を開設した。「長期的な視点で事業を育てている」。セコム創業者の飯田亮(84)は日本人以上に日本的なブンヤシットの経営姿勢をこう評する。

 サハの成功はタイ人の親日感情を抜きに語れない。博報堂生活総合研究所の昨年の調査で日本を「好き」と答えた人は6割。対韓国の3割、中国の2割を大きく上回る。

 だが豊かになり始めたアジアの人々が一方的に日本を仰ぎ見る時代は去った。サハも韓国・サムスン電子と家電製品を生産し、6月には「中国版ユニクロ」といわれるカジュアル衣料品店の1号店をバンコクに出す。

 変化が激しくなる今後は過去の成功体験が足かせになりかねない。「正解が1つでない時代は、日本が必ずしも答えを持っていない」(チュラロンコン大学日本センター所長の藤岡資正=40)

 技術力や競争力での優位は薄れても「相互信頼を重んじる点で日本の方が東南アジアの文化に近い」とブンヤシットは言う。経済や安全保障で内向き志向を強める米国の影響力が衰え、代わりに中国が存在感を高めるなか、日本に対するアジアの期待はなお大きい。アジアが日本に何を求め、日本はどう応えるのか。共存共栄の歩みは転機を迎えている。(敬称略)

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日本人とサハ グループが 益々 親密に ・・・

社長のひとりごと

サハグループ wp

孫正義の弟・泰蔵、シンガポールへ移住。日本の規制と教育システムに不満

孫正義氏の弟・泰蔵、シンガポールへ移住。日本の規制と教育システムに不満 2017-04-18

ソフトバンク孫正義氏の弟の泰蔵氏、東南アジアに1億ドル投資へ。
「日本は大き過ぎるし非常に鈍くて行動に結びつかない」


スマートフォン向けゲーム「パズル&ドラゴンズ」で有名なガンホー・オンライン・エンターテイメントの創業者、孫泰蔵氏がシンガポールに移住した。ソフトバンクグループ創業者の孫正義氏の弟でもある同氏は17日、日本の規制と教育システムへの不満が背景にあることを明かした。東南アジアに5年以内に1億ドル(約109億円)投資の予定という。

  孫氏は「日本政府には非常に強く働き掛けた。『創造的なアイデアをもたらすため実験・検証できるサンドボックスを規制の場に設けてはどうか』と提案したが、日本は大き過ぎるし非常に鈍くて行動に結びつかない。それがここシンガポールでは、政府や規制当局でさえ、イノベーションを尊ぶマインドがある」とDBSグループ・ホールディングスがアレンジしたイベントで発言した。

  シンガポールはインターネット利用率やオンラインのデータ処理依存度が高く、リー・シェンロン首相が2014年に着手した「スマート国家」イニシアチブを後押ししてきた。この構想の下、政府や政府機関、企業は自動運転バスや交通管理、料金自動徴収の公共交通機関など、技術の活用によって社会のあり方を変えられないか探っている。

  同国はまた、犯罪が少なく、所得税率が低い上にキャピタルゲイン税がないため、フェイスブックの共同創業者エドゥアルド・サベリン氏を含め、富裕層を引き寄せている。

  起業支援などを手掛けるミスルトウの代表も務める孫氏はシンガポールのセントーサ島に移住後、3カ月で永住権取得の見通しという。

  3歳の息子がいる同氏の移住の一因には、日本の教育システムへの信頼喪失がある。戦後の大企業育成型のアプローチから抜け出せていないとして、起業家を育てるには「最悪」だと語った。孫氏は最近、東京近郊に子供の学びの場を開設したが、シンガポールにも学校を開く方針だ。

原題:Billionaire Taizo Son Ditches Japan to Start Afresh in Singapore(抜粋) Business Standard 2017-04-18

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Taizo Son ditches Japan to start afresh in Singapore

Singapore may have just added a new tech billionaire, but it had to lure him from Japan first.

Taizo Son, who built his fortune on hit smartphone game Puzzle & Dragons, has relocated to the city-state from Tokyo and plans to invest $100 million in Southeast Asia within five years. The younger brother of SoftBank Group Corp’s founder said in Singapore on Monday he’d become frustrated by regulation in Japan as well as the country’s education system.

“I tried very hard by lobbying the Japanese government: ‘Why don’t we have a regulatory sandbox to bring some innovative ideas?,”’ Son told the event arranged by the private bank of DBS Group Holdings. “But the country’s too big and very slow to move. But here, even the government, regulators are innovation-minded.”


Singapore’s high rate of internet use and a reliance on online data-processing has helped propel Prime Minister Lee Hsien Loong’s Smart Nation initiative since it was launched in 2014. The programme has seen the government, agencies and companies look to use technology to change how things are done, from self-driving buses and traffic management to public transport fares that are charged automatically.

With little crime, low personal tax rates and no capital gains tax, the country has already drawn other billionaires, including Eduardo Saverin, a co-founder of Facebook.

Taizo Son founded gamemaker GungHo Online Entertainment Inc and is now chief executive officer of Mistletoe, a combination of early-stage venture firm, incubator and entrepreneur-in-residence program. His brother Masayoshi Son is chairman of SoftBank and is Japan’s second-richest man with a net worth of $12.9 billion, according to the Bloomberg Billionaires Index.

After moving to the wealthy enclave of Sentosa, Taizo Son expects to receive his permanent residency within three months.

He was partly motivated by his three-year-old son after losing confidence in Japan’s education system, which he said has failed to adapt from the approach used to build the company into a postwar industrial giant.

The Japanese system is “extremely terrible” at creating entrepreneurs and Son said he intends to open a school in Singapore after recently opening a new school near Tokyo that encourages children to learn without teachers. Among his existing investments in the region is games and e-commerce operator Garena, the most valuable start-up in Southeast Asia.

At the event, Son laid out his vision for a futuristic city where large vehicles go underground, commuting is done on personal mobility devices and people can shower with water purification systems the size of a suitcase.

“I’m getting an inspiration from Venice because inside Venice there is no car,” he said. He added an aspiration to redesign cities away from the industrialised, car-centric model of the 20th century to one that is more “human-centric.”

マラッカのページ

マラッカとジョージタウン(ペナン島)は、「マラッカ海峡の歴史都市群」として、2008年ユネスコの世界遺産に登録されました。
マラッカには、ホテル群が林立し始めました。 
観光が盛んになります。

マレーシアの世界遺産 【地図】
マラッカへは、シンガポールからバスでジョホールバスへ行きます。
3時間ほどです。

マラッカの歴史 http://melakajp.com/history/701.html
  • 1396年 スマトラ島の王族がマラッカ王国を成立。
  • 1405年 明国の「鄭和(ていわ)」がマラッカに寄港。マラッカ王国はスパイス(香辛料)などの東西交易の港として100年以上繁栄
  • 1414年 国王がイスラム教を受け入れる
  • 1511年 「マラッカ王国」はポルトガルの植民地に。マラッカ国王は国名を「ジョホール王国」に。イギリスの支配下に入るまで勢力を保っていた。末裔がジョホール王として王家は存続。
  • 1545年 フランシスコ・ザビエル、マラッカに寄港。インドのゴアを経由して上陸。
  • 1641年 オランダの植民地に。
  • 1786年 東インド会社(英国)がペナン島を植民地とする
  • 1819年 ラッフルズ」、シンガポールを獲得
  • 1824年 英蘭協定締結によりマラッカ海峡をはさみマレーシア側を英国領、そしてインドネシア側がオランダ領となる
  • 1896年 マレー連合州が結成され、マレー半島全域が英国植民地となる
  • 1941年 太平洋戦争において日本軍がマレーシアを占領
    • 12月8日 日本陸軍第25軍先遣兵団、コタバルに上陸
    • 2月10日 マレー沖海戦により英国東洋艦隊を撃破する
    • 12月11日 日本陸軍航空隊、ペナン島を攻撃
    • 12月13日 アロースターを占領
    • 12月19日 マレー半島北部の英軍飛行場の全てを占領
    • 12月31日 佗美支隊、クアンタンを占領
  • 1942年 1月11日 第5師団、クアラルンプールを占領
    • 1月31日 第25軍、マレー半島南端のジョホールバルを占領
    • 3月12日 近衛師団、北部スマトラを占領
  • 1945年 太平洋戦争終結。再び英国の植民地に
  • 1957年 8月31日 「マラヤ連邦」として完全独立を達成
  • 1965年 8月9日 シンガポールが分離独立。現在のマレーシアが形成された

ジョホール バルのページ

ジョホールバルのページ。マレーシア
https://kuwabara03.blogspot.my/2017/04/blog-post_5.html


  • ジョホール バルはジョホール州の州都です。
    クアラルンプールに次ぐ第2の都市です。
  • 「ジョホール バル」とは、「新ジョホール」の意味です。
  • ジョホールバルとシンガポールは、1キロの橋でつながっており、陸路で国境を渡ることができます。
  • 1866年にスルタン・アブ・バカールがジョホール王国の王に即位します。他の州がイギリスの植民地になりますが、ジョホール王国だけは、植民地になりませんでした。

/ green.dti.ne.jp/yama219/travel/201202Malaysia/index.htm
ジョホールの旅
http://www.tourismmalaysia.or.jp/region/johor/index.html

ジョホールバルのイスカンダル計画

ジョホールバルのイスカンダル計画  
https://kuwabara03.blogspot.my/2017/04/blog-post.html
※ イスカンダル(Iskandar)
イスカンダルとは、古代マケドニア王国のアレキサンドロス大王(前330年頃)のことです。

□ イスカンダル計画とは? 
http://asenavi.com/archives/10630

□ ジョホールバル 空白の大地はフロンティアの匂い
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO89639090T20C15A7000000/ 日経

□ 【コラム】イスカンダル計画とは 〜注目を集めるジョホール州の都市計画 
http://www.foreland-realty.com/?p=1187840

□ イスカンダル計画とは何か? - 池田秀樹

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□ あの壮大な都市開発計画、壮大に失敗し廃墟化しつつあった!住居もオフィスもガラガラ 午堂登紀雄
http://biz-journal.jp/2017/01/post_17696.html

□ ジョホールバルのイスカンダル計画
http://www.malaysia-magazine.com/immigrate/child/%E3%80%90%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%80%91%E8%B5%B7%E6%A5%AD%E9%96%A2%E9%80%A3/138/

4月12日、1861年。南北戦争おこる(-1865年)

4月12日、1861年。南北戦争おこる(-1865年)

南北戦争