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徳川慶喜を守る彰義隊は床几(しょうぎ)から

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徳川慶喜 :大正まで生きる    ※国会図書館 鳥羽・伏見の戦い(1868年1月)で徳川軍は敗れました。 15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ、1837- 1913)は大阪から軍艦に乗って、江戸にもどります。 勝海舟に「あとは頼む」と言ったきり、上野の寛永寺で謹慎しました。 彰義隊が寛永寺を守ることになりました。 床几(しょうぎ) 彰義隊とは、「床几(しょうぎ、腰掛け)」に由来します。 将軍家をささえる組織という意味です。 ※幕末 刀痕 弾痕 探訪記 1868年の上野戦争で、彰義隊は寛永寺に立てこもり、最後の反抗を試みました。 彰義隊は、「天海万歳!」とさけびながら、薩長に襲いかかっていきました。 寛永寺・天海の軍隊は、最後まで徳川を守ろうとしました。 しかし1日で壊滅しました。 薩長側は徳川家の守り本尊である寛永寺を焼き尽くしました。

徳川家では家康だけが神

徳川家では、家康だけが神で、あとの将軍は仏です。 家康が「神君」とよばれるのは、神(東照大権現)であり、君主(将軍)、神のようにすぐれた君主であるからです。 天海は、家康を「東昭大権現(とうしょうだいごんげん)」という神様にし、260年以上にわたり徳川家の安泰をはかり、日本に平和をもたらしました。 260年の泰平は世界史上希有なことです。 ともあれ、家康の死により幕府は危機を迎えました。 政権は家康のカリスマ性(人間を越えた力)に大きく依存していたからでした。織田政権も豊臣政権も創設者の信長、秀吉の死と共に瓦解(がかい)しました。 天海は、政権の安定をはかるために家康を神とする東照宮信仰を作り上げたのでした。 *     *     * 天海物語 目次

江(ごう)の家系、人物相関図

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江(ごう)の父は浅井(あざい)長政。 母・市は、織田信長の妹。 江(ごう)は、 最初の夫とは夫が反秀吉陣営についたため、 強制離縁。 2番目の夫は豊臣秀吉の養子の豊臣秀勝。 戦死。 3番目の夫が2代将軍・徳川秀忠。 江の息子・3代将軍・家光には、4人の将軍と天皇が。 4代将軍・家綱。 5代将軍・綱吉。 6代将軍・家宣。 7代将軍・家継。 江の第7子・和子(まさこ)は、 明正(めいしょう)天皇を生みます。 明正天皇は約900年ぶりの女帝です。  <*  宮廷では濁音をきらうので、「まさこ」に読みを変えました。> *     *     * 大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 江(ごう)の系統には6将軍と天皇が

徳川の葵の御紋の由来

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葵の御紋 。 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Mon-Tokugawa.png 本多家の立葵(たちあおい) 。2009年5月金沢市の藩老本多蔵品館にて。兼六園に隣接 徳川家の家紋は三つ葉葵です。水戸黄門の「頭(ず)が高い、この葵の紋どころが目に入らぬか」の決めせりふで有名です。 戦国武将は、勝ち取った領地や地位の正当性を示すために、名家の血を引いていることを家紋などであらわしました。 葵紋は、家康が征夷大将軍となってから権威ある紋として、将軍家、御三家、親藩の一部が使用しました。 一門で本末を区別するためにいろいろな葵紋がありました。 いろいろな葵の家紋 本多氏は京都の賀茂神社の神官の家でした。 賀茂神社の神紋は葵です。 家康は本多家のタチアオイを参考に、 三つ葉葵を徳川家の家紋にしたようです。 上賀茂神社の立葵 【画像】 藩老本多蔵品館 公式サイト