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パーフェクトあいづ 会津17市町村地図 会津中央エリア : 会津若松市、会津美里町、会津坂下町、湯川村 会津東エリア : 北塩原村、磐梯町、猪苗代町 会津西エリア : 柳津町、箕島町、金山町、昭和村 会津南エリア :南会津町、下郷町、檜枝岐(ひのえまた)村、只見町  会津北エリア : 喜多方市、西会津町 くるまで会津観光地図 広域地図 サイトマップ 会津自慢サイト 地図 福島県の市町村 (市町村クリックでホームページへ)     地形#1      #2       人口地図 会津美里町のページ 福島県のページ

「会津〇〇駅」でいっぱいの会津地方

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会津美里町の会津高田駅にて 会津地方には「会津〇〇」という駅で満ちています。 会津高田駅の駅名表です。 会津蒲生 会津塩沢 会津大塩 会津横田 会津越川(こすがわ) 会津川口 会津中川 会津水沼 会津宮下 会津西方 *     *     * 会津桧原(ひのはら) 会津柳津(やないづ) 会津坂本 会津坂下(ばんげ) 会津高田 会津本郷 会津越川や会津坂下は、外来者にはまず読めません。 只見線 駅一覧

洪水で空っぽの店舗。福島県いわき市小名浜

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いわき市の三崎トンネル。トンネルの向こうはすぐ三崎港 東日本大震災で崩落の崖 1階は洪水で空っぽ 2011年7月会津を出、郡山を経由して太平洋岸へ向かいました。 地図上では、郡山からいわき市まで山脈1本で スイスイと行ける感じです。 しかし70キロの丘また丘の阿武隈高地が 間に延々と横たわっていました。 浜通りと中通りは昔は 往来不能の地域だったことを実感しました。 まちはしんとして、 海岸沿いのお店は、 洪水で中身は流され、 柱だけが 人待ち顔で わびしくたたずんでいました。 右から、浜通り、中通り、会津の3地域 福島県の市町村    地形#1    #2     人口地図

殉節(じゅんせつ) 越後長岡藩士の碑

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殉節越後長岡藩士の碑  =会津若松市門田町飯寺(にいでら) 「殉節」とは、正義のために命を捨てることです。 * * * 「殉節 越後長岡藩士の碑 」(意訳) 「明治元年(1868年)戊辰戦争のさい、 越後 長岡藩士・山本帯刀(たてわき)隊長 他に43名が80里(320キロ)の 難関を越えて会津鶴ヶ城下に至りました。 9月8日未明に会津藩士400余人と協力、 力戦苦闘、いったん西軍を潰走(かいそう)させました。 しかし、濃霧のため 門田町飯寺 ( もんでんまち にいでら)において孤立、 敵の重囲(じゅうい)におちいり、 ついに全員戦死しました。 飯寺村民の手により、 供養の碑が建てられ 厚い法要が営まれました。 1956年、会津史談会など有史の篤志により、 新に殉節の碑が建立されました。」 *     *     * 越後・長岡藩に手あつい会津人

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会津のページ 会津美里町のページ 棚倉町(たなぐらまち)のページ 桑原政則 「会津〇〇駅」でいっぱいの会津地方 洪水で空っぽの店舗。福島県いわき市小名浜  越後・長岡藩に手あつい会津人   殉節(じゅんせつ) 越後長岡藩士の碑     河井継之助(つぎのすけ) 埋骨(まいこつ)の地     蒲生氏郷 会津を400年支配した蘆名氏 会津美里町のページ 『河北新報』の「河北」って? 高遠そばの店 百丈 棚倉町 棚倉町(たなぐらまち)のページ 島根県、福島県を旅してきた光西寺 天海 天海僧正が出家した龍興寺 天海、比叡山延暦寺で学ぶ 福島県3地域の気質(かたぎ) *     *     * 地図 福島県の市町村 (市町村クリックでホームページへ)   地形#1    #2     人口地図 3地区:浜通り、中通り、会津 会津ゆかりの人物  福島県庁

福島県・棚倉町(たなぐらまち)のページ 

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棚倉町(たなぐらまち)は、福島県中通りの南端にあります。 左上に白河市が隣接しています。 人口は15000人です。 福島県の市町村地図 棚倉町は、棚倉藩の城下町でした。 棚倉藩は240年あまり続きました。 1866年棚倉藩主・ 松平康英(やすひで)は、 川越に国替えになり、川越城主となりました。 幕末の緊急時に、幕府は松平康英が近くにいることが必要でした。 松平康英(やすひで)は、江戸幕府の老中でもありました。 松平康英の墓は川越の光西寺にあります。 松平康英の関係で川越市と棚倉町は、友好都市協定を結んでいます。 「蛍の光」の作詞者・稲垣千穎(ちかい)は、棚倉生まれで川越藩の家臣でした。 川越の藩校・長善館で教えました。 <*  子孫は川越在住です。> 蛍の光の作詞者 稲垣千穎 *     *     * 松平康英 島根県浜田、福島県棚倉を旅してきた川越・光西寺  *     *     * 【メモ】 ライオンズクラブ棚倉結成35周年 記念式典 棚倉町の 新富家 、2009年4月25日 閉会前のライオンズロア(ライオンの咆哮)の準備

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文化財が豊富な会津美里町 会津美里町 公式サイト ミサトノ 観光協会 会津美里振興公社 施設案内 会津美里町 地図 会津若松から直線距離で8キロですが、JR只見線は運行回数が少ないです。 *     *     * 会津と福島の護り 会津美里、向羽黒山城跡 *     *     * 身不知柿(みしらずがき)の産地 龍興寺 : 天海僧正が出家した龍興寺 伊佐須美神社 向羽黒山城 特産品 *     *     * 龍興寺は、天海出家の寺です。両親の墓があります。 国宝「一字蓮台法華経」があります。 伊佐須美(いさすみ)神社は会津総鎮守にもなっています。 「会津」の地名もここで起こりました。 法用寺には、地方唯一の三重塔があります。 鎌倉時代に葦名氏が会津美里町の向羽黒山(むかいはぐろやま)城を居城としました。 江戸時代には、会津五街道の1つ会津西街道(下野街道)が敷かれました。 会津西街道は、会津藩、村上藩、新発田藩、庄内藩、米沢藩が利用しました。 高田宿には郡役所が置かれていました。 *     *     * 渡部英敏・町長 *     *     * つながりタウン