清少納言『枕草子』。日本三大随筆の一つ <音読

清少納言『枕草子』。日本三大随筆の一つ    <音読


『枕草子』は日本三大随筆の一つです。他は、
兼好法師の『徒然草』、
鴨長明の『方丈記』です。

清少納言は、966年ごろ生まれ、60歳程まで生きました。
紫式部とならぶ才女です。
『枕草子』は、1001年成立の平安後期の作品です。
※平安時代    794年~1192年

清少納言が見た季節の移り変わりなどの話が収められています。
少し前にできた「ひらがな」のおかげで、
『源氏物語』や『枕草子』などが誕生しました。

平安時代には、中国との交流をやめました。
そのため、国風文化が栄え、貴族の優雅な暮らしも生まれました。




春はあけぼの。
やうやうしろくなりゆく山ぎは、
すこしあかりて、
紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

夏は夜。
月の頃はさらなり、
闇もなほ、
蛍のおほく飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、
ほのかにうち光りて行くも、をかし。
雨など降るも、をかし。

秋は夕暮れ。
夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、
烏の、寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、
飛び急ぐさへ、あはれなり。
まいて、雁などのつらねたるが、
いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入りはてて、風の音、虫の音など、
はた、言ふべきにあらず。

冬はつとめて。
雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。
霜のいと白きも、またさらでも、
いと寒きに、火など急ぎおこして、
炭持てわたるも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、
火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。



春はほのぼのと夜が明けるときが素敵。
だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子が良い。

夏は夜。
月が出ていればもちろん、闇夜でも、蛍がいっぱい飛び交っている様子。
また、ほんの一つ二つ、ほのかに光っていくのも良い。
雨の降るのもまた良い。

秋は夕暮れ。
夕日が赤々と射して、今にも山の稜線に沈もうという頃、カラスがねぐらへ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど思い思いに急ぐのさえ、しみじみと心にしみる。
まして、カリなどで列を連ねて渡っていくのが遥か遠くに小さく見えるのは面白い。
すっかり日が落ちてしまって、風の音、虫の音などが様々に奏でるのは、もう言葉に尽くせない。

冬は早朝。
雪が降り積もっているのはもちろん、霜が真っ白に降りているのも、またそうでなくても、はりつめたように寒い朝、火などを大急ぎでおこして炭火を部屋から部屋へ運んでまわるのも、いかにも冬の朝らしい。
昼になってだんだん寒さが緩むと火鉢の炭火も白く灰をかぶってしまって間の抜けた感じだ。





音読の効用
  • 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。
  • ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。
  • のどの筋肉がきたえられます
作品の表記について
  • 読みやすいように、表記を改めた所があります。
  • 差別的な表現も、独自性を保つために、そのまま表記しました。

天海は、織田信長による比叡山焼き打ちを逃れ、武田信玄の元へ。<天海コラム#3

天海は、織田信長による比叡山焼き打ちを逃れ、武田信玄の元へ。1571年 35歳

 

1571年 35歳の時、天海は、比叡山入山を試みます。

しかし、比叡山が織田信長により焼き打ちされ、果たせませんでした。

天海は、 明智光秀の世話で、比叡山の学僧らと共に、
武田信玄の元に身を寄せます。
武田信玄の領地 1568年

武田信玄は、戦争嫌いで、書物好きの文人でした。
民政を重んじた徳政の人でした。
このころ武田は、天下一の有力者でした。

天海は、武田信玄の元で、天台宗について講義したりしました。
武田信玄は、天海より15歳年上で、
僧侶(「信玄」)でもありました。
武田信玄

天海は、武家の出です。
三浦氏一族の蘆名(あしな)氏の生まれです。

戦乱で父を奪われ、11歳で出家します。
天海は至るところで修行します。
戦乱の世にあって、剣の力ではなく仏法の力で、
泰平浄土を願いました。

しかし、仏法だけでは泰平は訪れませんでした。

みずからの「山王一実神道(さんのう いちじつ しんとう)」により、
徳川家康を
泰平浄土の神にする腹案をこのころ得ました。

1616年徳川家康の死にあたっては、
徳川家康を
東照大権現(とうしょう だいごんげん) にしました。

権現とは、「仮に(権)、この世に現れている姿」のことです。
天海は、伊勢神宮の天照大神(あまてらす おおみかみ)を念頭に、
徳川家康が東国の天照(あまてらす)となることにし、
「東照大権現」にしました。

東照大権現とは、
家康が東照という神となって
仮に(=権)この世にあらわれている姿ということです。

こうして、世界でもまれな
260年のパクス・トクガワーナ(徳川の平和)が、
招来されました。

※パクス・ロマーナ(ローマの平和)は、200年です。
パクスとはラテン語で 平和 という意味です。

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※武田信玄

天海は薬草にも通じていたので、家康の深い信任を得た <天海コラム#2

 天海は薬草にも通じていたので、家康の深い信任を得た  <天海コラム#2   

天海は薬草に通じていました。

医者や古老に効能を聞きながら、自分に試し、
結果が良ければひとにも塗ったり、服用してもらいました。

いろいろな薬物に通じることで、
天海はいっぱしの良医になっていきました。

天海が徳川家康の深い信任を得ることができたのは、
薬物の知識があったからです。


徳川家康は、粗食を実行、
運動と気分転換を兼ねた「鷹狩り」を愛しました。
薬事書などもよく読み、薬草を栽培しました。
薬は自分で調合しました。

家康は、駿府城では、4000坪の「駿府 御薬園(おやくえん)」で
薬草を栽培しました。

後年、3代 家光の時代には、小石川に小石川御薬園(おやくえん)をつくりました。
世界でも有数の歴史を持つ植物園で、薬草の栽培や研究をおこなっていました。


※御薬園(おやくえん)

秩父宮勢津子。会津と朝廷のかけ橋 。Setsuko, Princess Chichibu。8月25日没

【武蔵観研通信】318号:2021年10月28日

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【武蔵観研通信】318号:2021年10月28日            

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                                  【 編集発行  桑原政則 】   

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★ 人物 


天海僧正の健康法。勤行歩く粗食学習    <天海コラム#1

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伊藤若冲(じゃくちゅう)。群鶏図で有名な絵師。10月27日没

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薩摩藩の祖 島津忠久は、武蔵国の出身

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春日局。3代 徳川家光の乳母で大奥を整えた女性政治家。10月26日没 <川越の先人

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岡本一平   『非凡人と凡人の遺書』    <音読

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二葉亭 四迷 『平凡』 <音読

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3代・北条氏康:河越夜戦。後北条氏の全盛を築く。Hojo Ujiyasu。10月21日没  <川越の先人

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夏目漱石 『吾輩は猫である』 <音読

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夏目漱石 『草枕』 <音読

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吉田茂。戦後日本再建の立役者。10月20日没

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日蓮。日蓮宗を開く。Nichiren。 10月13日没

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五代友厚(ともあつ)。大阪経済を立て直し、東の渋沢栄一、西の五代友厚と称される。Godai Tomoatsu。9月25日没

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塙保己一。盲目で『群書類従』を編さん。Hanawa Hokiichi。10月7日没 。埼玉県本庄市

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★全般:  

3・4・5 中国包囲網。オーカス    クアッド     ファイブ アイズ 

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┃後記┃ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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ニュース   2021/10


10月4日 - 岸田内閣が発足。
10月5日 - 真鍋淑郎(まなべ しゅくろう)が、気候変動モデルの研究で、ノーベル物理学賞。
10月26日 - 眞子内親王、皇籍離脱し結婚。

∵激変する情報環境    デジタル化で皇族もだれもスマホ可能に

国際基督教大学    キリスト教系私立大学

皇室学の専門知識人の不在    かつては小泉信三が

政治家の怠慢  なりゆきまかせ    要長期計画  愛子内親王12月1日に20歳。女性天皇も論議を

10月31日 - 衆議院議員総選挙
11月1日 - 新500円硬貨が発行予定
年度内 - 本田技研が埼玉県狭山市の工場閉鎖

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鴨長明『方丈記』<音読。他4作品

 鴨長明『方丈記』  <音読。他4作品

鴨長明(1155?〜1216)は、鎌倉時代初期の歌人・随筆家です。
京都の神社の神官の家に生まれました。
後鳥羽上皇にめされて、和歌所の職員になりました。
のち出家し、そまつな方丈(一丈=約三メートル四方)の家に住みました。


方丈記  青空文庫 

行く川の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
淀(よど)みに浮かぶうたかたかは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある、人と栖(すみか)と、
またかくのごとし。

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玉敷(たまし)きの都の内に、棟(むね)を並べ、
(いらか)を争へる、
高き賤
(いやし)しき人の住まひは、
世々を経て尽きせぬものなれど、
これ(*)をまことかと尋
(たず)ぬれば、
昔ありし家はまれなり。

あるいは、去年(こぞ)焼けて、今年作れり。
あるいは、大家滅びて、小家となる。
住む人もこれに同じ。

所も変はらず、人も多かれど、
いにしへ見し人は、二、三十人が中に、
僅かに一人二人なり。

朝(あした)に死に、夕べに生まるる慣らひ、
ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、
いづ方より来りて、いづ方へか去る。

また知らず、仮の宿り、
誰がためにか心を悩まし、
何によりてか目を喜ばしむる。

その、主と栖と、無常を争ふさま、
言はば、朝霧の露に異ならず。

あるいは、露落ちて、花残れり。
残るといへども、朝日に枯れぬ。

あるいは、花しぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども、夕べを待つことなし。




現代語訳
流れていく川の流れは絶えることがなくて、それでいて、(その水は刻々移り)もとの水ではない。
流れの淀んでいるところに浮かぶ水の泡は、一方で消えたかと思うと、一方ではまたできて、いつまでもそのままの状態で存在していることはない。
このように生まれてきている人と住まいも、また、同じようなものである。
玉を敷きつめたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている(ように並んでいる)身分の高い、また低い人々の住まいは、幾世代を経てもなくならないものであるが、これらの家々が本当に昔のままで残っているのかと調べてみると、昔あったままの家は珍しい。
ある場合は、去年火事で焼けて、今年新しく作っている。
ある場合は、大きな家が滅んで、小さな家となっている。
(家だけでなく、そこに)住んでいる人もこれと同じである。
場所も変わらず、人も大勢いるが、(よく見ると)昔見知った人は、二、三十人の中で、わずかに一人二人である。
朝に死ぬ人があるかと思うと、夕方に生まれる人があるという人の世のならわしは、全く水の泡に似ていることである。
(私には)わからない、生まれる人死ぬ人は(いったい)誰のために苦心して(建て)、何のために(飾り立てて)目を喜ばせようとするのか。
その、家の住人と住まいとが、どちらが先に滅びるかを競っている(かのようにどちらも滅び去っていく)様子は、例えて言えば、朝顔(の花)と、その上に置く露との関係に同じである。
ある場合は、露が落ちて、花が残っている場合もある。
(しかし、)残っているといっても、朝日にあたると枯れしぼんでしまう。
ある場合は、花が先にしぼんで、露はまだ消えないでいる場合もある。
(しかし、)消えないでいるといっても、夕方まで消えずにいることはない。

【解説】

[うたかた]
水の泡。

[かつ消え、かつ結びて]
一方では(泡が)消え、また一方では新しく泡ができて。

[ためし]
「例」。

[高き賤しき人の住まひ]
(身分の)高い人の住まい、(身分の)低い人の住まい、の意。

[尽きぬものなれど]
尽きないものではあるけども。

[昔ありし家]
昔あった家。

[いにしへ見し人]
昔から知っている人。

[仮の宿り]
仏教思想の三世(さんぜ。前世・現世・後世)のうち、現世は後世のための仮の世にすぎないという考え方からきている表現。

[目を喜ばしむる]
目を喜ばせようとするのか。

朗読『現代語訳 方丈記』鴨長明 佐藤春夫訳

鴨長明「方丈記(現代語朗読:呉圭崇)」 【+7】

【青空文庫朗読】方丈記 鴨長明【睡眠用おすすめ名作小説の女性朗読】



音読の効用
  • 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。
  • ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。
  • のどの筋肉がきたえられます
作品の表記について
  • 読みやすいように、表記を改めた所があります。
  • 差別的な表現も、原作の独自性を保つために、そのまま表記しました。



伊藤若冲(じゃくちゅう)。群鶏図(ぐんけいず)で有名な絵師。10月27日没

 伊藤若冲(じゃくちゅう)。群鶏図で有名な絵師。10月27日没

伊藤若冲

・1716年3月1日。京都~1800年10月27日没。84歳

京都の商家の長男に生まれました。

絵画だけに興味を示しました。

動植物を写実的描き,装飾性を加えました。

「群鶏図(ぐんけいず)」が代表作です。
























薩摩藩の祖 島津忠久は、武蔵国の出身

 薩摩藩の祖 島津忠久は、武蔵国の出身 

・~1227年6月18日没








源頼朝は北武蔵一帯を検地しました。

北武蔵が広大で肥沃な平野であることを見て重要視します。 このとき、頼朝は都幾川村の慈光寺に銅鐘を奉納しています。

…。

源頼朝は、河越氏と近隣の比企氏を結びつけることにしました。

こうして、河越氏初代の河越重頼は、源頼朝の勧めで、比企(ひき)氏の次女と結婚しました。

 

河越重頼と比企氏の次女の間に生まれた娘はやがて、源義経の妻となりました。

比企氏の長女は、島津忠久を生み、薩摩の島津氏の祖となりました。
父親は未確定です。


島津忠久は鎌倉で生活しますが、比企氏の縁者であったことで重んじられて、子孫は薩摩の守護に任じられました。

島津家には「島津忠久は源頼朝の子供」という言い伝えがあります。
島津忠久が建てた鹿児島の花尾(はなお)神社は、源頼朝と忠久の母を祀っています。

岡本一平 『非凡人と凡人の遺書』 <音読

岡本一平   『非凡人と凡人の遺書』    <音読

岡本一平(1886~1948)は、夏目漱石に認められて、
漫画つきの文章を生み出しました。
妻は小説家の岡本太郎です。
長男が岡本太郎です。
俳優の池部良は甥です

一平の父は津藩の儒学者です。

一平・かの子夫婦は、川端康成と長く親交し、
一平は川端康成をながく尊崇していました。

文章は、一筆書きのようにスラスラーッと読めるのが特徴です。


岡本一平   非凡人と凡人の遺書  青空文庫

 牛や魚は死ぬ時遺言(ゆいごん)しない。
鳥や松の木も死ぬ時遺言しない。
遺言するのは人間だけである。

死ぬ時自分以外に他あるをかえりみてて、
そこに何か責任上の一言を遺(のこ)して置く。
これ人間が万物の霊長たる由縁であらう。


 毎年正月元日に筆を改めて
遺言状を書き直すといふ用意周到の人が
僕の知つてる範囲で二人ある。

しかも二人共かなり永生きの方なので
何通書き直したか判らぬ。

年々そう書き直す必要があるだらうかときいたら
一人は『葬儀車だつて年々進化するだらう?』
一人は『年々遺言状の思想が旧くなつて行くから』といつた。

二人共遺言状を書く真剣さを用ゐて、自分の魂をあらため験(けん)するのだつた。
中々ずるい。


音読の効用
  • 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。
  • ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。
  • のどの筋肉がきたえられます
作品の表記について
  • 読みやすいように、表記を改めた所があります。
  • 差別的な表現も、原作の独自性を保つために、そのまま表記しました。




二葉亭 四迷 『平凡』 <音読

二葉亭 四迷    『平凡』

・1864~1909

二葉亭 四迷 最後の作品です。
当時 寿命は50歳、夏目漱石は49歳で他界しました。
二葉亭 四迷は、ある時 自分が情けなくなり「くたばってしめぇ」と自分自身に言い放ちました。
それがペンネームとなりました。

二葉亭 四迷    『平凡』    青空文庫

 私は今年三十九になる。

人生五十が通相場(とおりそうば)なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。

すぎさってしまえば実にあっけない。
まだまだと云ってるうちにいつしか此世の隙(ひま)が明いて、
もうおさらばという時節が来る。

そのときになって幾らあがいたって もがいたっておっつかない。
覚悟をするなら今のうちだ。

 いや、しかし私もおいこんだ。
三十九には老(お)い込こみようがチト早過ぎるという人も有ろうが、
気のもちかたは年よりもふけた方が好い。
それだと無難だ。

 どうしてこんな年寄りじみた心持になったものか知らぬが、
あながち苦労をして来たせいでは有るまい。
私位ぐらいの苦労は誰でもしている。
もっとも苦労しても一向苦労にめげぬいつまでも元気な人もある。



夏目漱石 『吾輩は猫である』 <音読

 夏目漱石  『吾輩は猫である』    <音読

オスネコが英語の先生のところで繰り広げる物語。
漱石は、『吾輩は猫である』の成功で、
東大の先生をやめ小説家となりました。

夏目漱石  『吾輩は猫である』  青空文庫

 吾輩わがはいは猫である。名前はまだ無い。

 どこで生まれたか とんと見当(けんとう)がつかぬ。

何でも薄暗い じめじめした所で、

ニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

吾輩はここで始めて人間というものを見た。

しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で
一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。

この書生というのは、時々我々をつかまえて
煮(に)て食うという話である。

しかしその当時は何という考えもなかったから、
別段恐しいとも思わなかった。

ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時、

何だかフワフワした感じがあったばかりである。

掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのが、

いわゆる人間というものの見始めであろう。

この時妙なものだと思った感じが、今でも残っている。

第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるして、
まるで薬缶(やかん)だ。

その後猫にもだいぶあったが、
こんな片輪(かたわ)には一度もでくわした事がない。

のみならず顔の真中があまりに突起している。

そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。

どうもむせぽくて実に弱った。

これが人間の飲む煙草(たばこ)というものである事はようやくこの頃知った。




音読の効用
  • 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。
  • ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。
  • のどの筋肉がきたえられます
作品の表記について
  • 読みやすいように、表記を改めた所があります。
  • 差別的な表現も、原作の独自性を保つために、そのまま表記しました。


夏目漱石 『草枕』 音読

 夏目漱石  『草枕』 音読

『草枕』は、初期の名作です。
世の中の しがらみ を憂えています。

漱石はこの頃病気がちで、
近所のあたたかい絆(きずな)も、
しがらみ
に思えていたようです。

文章は、テンポよく音読しやすいです。


音読の効用
  • 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。
  • ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。
  • のどの筋肉がきたえられます
作品の表記について
  • 読みやすいように、表記を改めた所があります。
  • 差別的な表現も、原作の独自性を保つために、そのまま表記しました。



山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。


 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。
とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさがこうじると 、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいとった時、
詩が生れて、が出来る。

 人の世を作ったものは、
神でもなければ鬼でもない。

やはり向う三軒両隣に ちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
越す国はあるまい。

あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は、人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、
住みにくい所をどれほどか、
くつろげて、(つか)のの命を、
束の間でも住みよくせねばならぬ。

ここに詩人という天職が出来て、
ここに画家という使命が(く)だる。

あらゆる芸術の士は、人の世を長閑(のどか)にし、
人の心を豊かにするが(たっ)とい。

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ああ

問答集

(4000字超)。1996年

おお

吉田茂。戦後日本政治の立役者。10月20日没

 吉田茂。戦後日本政治の立役者。10月20日没 

談笑する吉田茂、1953年








・1878年9月22日 ~1967年10月20日。満89歳没

吉田茂は、高知県出身です。

外務省に入省後20年の多くを
中国大陸で過ごしました。
イギリス駐在大使をつとめた「反共 親英米派」でした。

1946年から、約7年にわたって政権を担当しました。
サンフランシスコ平和条約を調印し、
「軽武装・経済重視」路線で、敗戦の焼け野原から
日本を上手に離陸させました。

【※】
「軽武装・経済重視」路線  
宏池会(こうちかい)は、岸田派。
自民党内のリベラル派。
池田勇人が佐藤栄作とたもとを分かって旗揚げしたのが始まり。


吉田「学校」には、佐藤栄作、池田勇人、田中角栄がいます。
保守本流を形成します。
(
池田勇人、岸田文雄は、広島県人)

戦後政治の2代巨人は吉田茂、岸信介です。


吉田茂の先祖に、大久保利通が祖先にいます。
文藝評論家の吉田健一は長男です。
寬仁親王妃 信子は孫です。
麻生太郎は孫です。

親密なマッカーサーと



 







曲学阿世の徒  南原繁

ソ連や中国を除く国々との単独講和を進める吉田政権に対し、
東京大学総長 南原繁がこれらの政府を含めた全面講和を主張しました。
激怒した吉田は、
「これは国際問題を知らぬ曲学阿世(きょくがく あせい)の徒」と
南原を批判しました。
吉田が正しかったようです。


【4分】わが外交を語る 吉田茂 

3・4・5 中国包囲網。オーカス クアッド ファイブ アイズ

 3・4・5 中国包囲網。オーカス    クアッド     ファイブ アイズ   


・AUKUS オーカス
AUstralia     UK(United Kingdom)    US
豪英米3カ国    

AUKUS オーカス







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・Quad(クアッド)4カ国    日米豪印4カ国
※quad 4つ

クアッド










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・Five Eyes    米英豪加ニュージランド 5カ国

インテリジェンス機構    アングロサクソン国家群