梅棹忠夫。人間学の先駆者。情報の時代を0960年代に。 7月3日没。Umesao Tadao
梅棹 忠夫 |
梅棹忠夫は、産業の歴史を「農業の時代」、「工業の時代」、これからは「情報産業の時代」になると予言しました。
中高時代から登山、探検に熱中し、京都大学で人類学を専攻します。
1957年、『文明の生態史観 序説』で、大きな注目を浴びました。
国立民族学博物館の設立に尽力し、初代館長に就任します。『梅棹忠夫著作集』全23巻があります。
【名言】
「できないことを何とかしようとするよりも、
できることを楽しんだほうがいい。
できることのなかに、
結構たくさん楽しいことがありますから」
【補足】
「東京は無機質でツンとしとって、-----かなん なあ。
やっぱし京都がええわ」
(独白 東京で国立民族学博物館の設立準備中に)
1960年代はじめに、産業の発展段階は、次の通りに示しました。
農業の時代(消化器官)、
工業の時代(筋肉)、
情報の時代(脳神経)
日本は、情報の時代(脳神経)を切り開きましょう
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