谷中霊園を歩く。お彼岸 <徳川慶喜、渋沢栄一

谷中霊園を歩く。お彼岸      <徳川慶喜、渋沢栄一

お彼岸には、あの世とこの世が
一番近くになる。
先祖が近くに
桜咲くお彼岸どきです。谷中霊園を歩きました。

谷中霊園案内図  著名人墓碑銘も【PDF】


さくら通りを歩くと、駐在所の隣に五重塔跡があります。
放火にあい、いまは礎石だけが残っています。
幸田露伴の小説「五重塔」のモデルです。


徳川慶喜(ケーキ、よしのぶ)の墓所もあります。
徳川慶喜 墓所
最後の将軍15代・徳川慶喜(よしのぶ)の父は
水戸斉昭(なりあきら)です。母は皇族です。

門には葵の御紋があります。
石碑の向こうに円墳状の墓が見えます。神式です。


15代・徳川慶喜(よしのぶ)は、朝敵となった自分をゆるしてくれた明治天皇に感謝の意を示すため、葬儀を神式で行なうように遺言しました。



資本主義の父・渋沢栄一の墓は、徳川慶喜(よしのぶ)の近くにあります。
渋沢栄一は、徳川慶喜にも仕えました。
渋沢一族の墓所




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墓石に「之墓」はいりません。



俳句の先生なら、
墓石に「之墓」はいりません、というところでしょう。
小さな墓石に、2文字の「之墓」は、もったいないです。

わが家では、40年以上も前に、
「之墓」のない墓石(「桑原家」)をつくりました。

しかし、どの墓石を見ても、
「之墓」がついています。

習慣、伝統、歴史は、
一朝では変わらないようです。

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