発智庄平(ほっち しょうへい)。霞ヶ関カンツリー倶楽部開設に尽力 【改訂版】<川越の先人

発智庄平(ほっち しょうへい)。霞ヶ関カンツリー倶楽部開設に尽力 【改訂版】<川越の先人

2021年7月、8月は霞ヶ関カンツリー倶楽部で オリンピック  

7月30日、31日、8月1日、4日、5日、6日、7日


・1864年10月5日~1936年2月28日

発智庄平(ほっち しょうへい)は、明治から昭和にかけて小学校の
校長、育児院の院長などの社会事業にも関わった大地主で篤志家です。

川越市笠幡の所有する土地に霞ヶ関カンツリー倶楽部を 竣工させました。 

発智家27代当主で、27代700年間に築かれた所有地は 50万坪(170万㎡)ともいわれました。
先祖は長野県軽井沢町出身です。

1887年 23歳で入間市の黒須小学校の校長になりました。教育隆盛、地域振興を願ってのことです。

33歳のときには川越市霞ヶ関で青年道徳研究会を起こし、 自宅で夜学会を開きました。

1900年、36歳のときには、渋沢栄一の勧めで黒須銀行を創立、 頭取になりました。
顧問は渋沢栄一でした。 黒須銀行は、今の埼玉りそな銀行につながっています。


1912年には、渋沢栄一の協力で、 児童養護施設 埼玉育児院の院長をつとめ、施設も自宅そばに移設しました。 渋沢栄一は、600ほどの社会公共事業にかかわりました。
この施設は2012年に創立100周年を迎えました。  
発智庄平は埼玉師範出です。単なる教師ではなく、 武者小路実篤の「新しき村」(宮崎)を入間郡毛呂山町に招致し、
道徳と産業の両立を唱えました。

また川越の霞が関には、
私財を投げ打ち、ゴルフ場を建設しました。
このゴルフ場では近所のこどもたちが、キャデイーで働き、 生計の足しにしました。

1957年に霞ヶ関カンツリー倶楽部で、 ゴルフの世界選手権「カナダカップ」が開催され、
中村寅吉プロが個人優勝、 中村寅吉、小野光一プロが団体優勝しました。
この時、以後ゴルフ熱が高まりゴルフ場も広く名を知られることに なりました。

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