天海、家康の指南役に

1603年家康は江戸幕府を開きます。

家康は、1605年にかけての2年あまりの間だけ将軍職でした。
これは世襲制度を築くための予定の行動でした。

その後は大御所(おおごしょ)として駿河に移転し、
院政を敷きました。

駿河は京都と江戸の中間にあり、
両方ににらみをきかせることができました。

徳川家康は、宗教面での指南役を探していました。
選ばれたのが6歳年上の天海でした。

学識が深く、天台宗だけでなく
他の宗派やその他いろいろな学問にも精通していました。

家康は

「天海僧正は、
人中(にんちゅう)の仏なり」

と天海に絶大な信頼を寄せました。


1603年、天海は、平将門(たいらのまさかど)の霊を
大手町(旧称は芝崎)から
神田神社に移し、
江戸の町の守護神にしました。

家康が江戸幕府を開いた年です。

将門といえば、
朝廷に反抗した朝廷の敵でした。
天海は、民衆に人気のあった将門を
江戸のまちを守る神様にすることにより、
江戸の民が尊皇思想を
もたないようにしくんだのでしょう。

神田神社 江戸の総鎮守
神田神社 将門の首塚

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