時を超え女性を癒やす立山(たてやま)、信仰の儀式続く

【4-2】(北日本新聞社、文・小川剛、写真・佐藤範幸)引用編集
「布橋灌頂会」で、目隠しをして布橋を渡る白装束姿の女性たち。富山県立山町。

 かつて、あの世とこの世の境界とされた朱色の布橋(ぬのはし)を、目隠しをした白装束姿の女性が渡る。
立山連峰の麓にある富山県立山町 芦峅寺 (あしくらじ) 地区で9月、立山信仰の女人救済儀式「 布橋灌頂会 (ぬのばしかんじょうえ) 」が3年ぶりに行われる。
癒やしの行事として、時代を超えて現代女性にも受け入れられている。

 3千メートル級の峰々が連なる立山は、江戸時代まで山岳信仰の霊山として知られ、地獄や極楽浄土があると信じられていた。
男性は責め苦に見立てられた厳しい登山を行って死後の往生を願ったが、当時の立山は女人禁制。そこで、女性が往生を願うため布橋灌頂会が行われた。
徳川将軍家の姫が寄進をするなど、江戸でも広く知られたという。

 明治時代の廃仏 毀釈 (きしゃく) で廃れたが、1996年の国民文化祭を機に130年ぶりに復活。
2011年からは住民と行政などでつくる実行委員会が3年に1度開く。

 儀式では女性たちがざんげを行ってから、仏教音楽や雅楽に導かれて橋を一歩一歩進む。
渡った先にある遥望館の暗闇の中で目隠しを解くと、ガラス壁の覆いが上がり、陽光に照らされた立山が目前に広がる。
心を見つめ直した女性からは「他界した家族を思って歩いた」「立山が見え、感謝の気持ちに包まれた」などといった声が寄せられている。

 かつて登山者のための宿坊が立ち並んだ芦峅寺地区も、近年は小学校が休校するなど人口減が課題だ。
地域住民が一体となって運営する儀式は、地区の歴史を見つめ直す機会となっている。
実行委会長の 佐伯信春 (さえき・のぶはる) ・芦峅寺総代(79)は「地域の誇りとして受け継いでいきたい」と力を込めた。


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芦峅寺 (あしくらじ) 地区では、国際的な観光地である立山・黒部アルペンルートに向かうバスが次々と姿を見せるが、大半は通り過ぎる。
「 布橋灌頂会 (ぬのばしかんじょうえ) 」に代表される集落の風情を守りつつ、いかに魅力を伝えるかが活性化の鍵となる。

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