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和歌山と千葉の共通点 黒潮が結ぶ縁 。銚子

2012/8/7 NK、次田尚弘を抜粋編集

キーワード:
銚子。イワシのなれずし。なめろう。目良---白浜---勝浦。捕鯨基地。たく=似る---おおきに---われ。しょうゆ。


紀国人移住碑。銚子
/出典:http://acmbs.sakura.ne.jp/mite/10houk/10082L.html
東と西に遠く離れた千葉県と和歌山県。
一見、何の関係もなさそうな2つの県だが、意外にも多くの共通点がある。

地図を開くと、海沿いに共通の地名が存在する。
食文化や方言にも類似点が見つかった。
理由を探っていくと、数百年にわたる両県の結びつきが見えてきた。

 千葉と和歌山をつなぐのは海のシルクロードともいわれる黒潮だ。
時代は江戸に遡る。
「当時の紀州は漁労技術の先進地。
イワシを求め、漁民や商人が房総半島の沿岸に移り住んだ」と、元千葉県水産試験場海洋資源研究室長の平本紀久雄さんは解説する。
房総半島はイワシを肥料に加工し、上方や江戸に送る基地になった。

 「勝浦」「白浜」などの地名は故郷をしのんで付けたのか。
県内には「湯浅」「田辺」など、和歌山の地名と同じ名字も目立つ。
ずばり「紀国(きのくに)」さんもいる。
関西由来と思われる方言を使う地域も残る。

 食文化はどうか。
九十九里には魚と米を発酵させる「イワシのくさりずし」が伝わる。
関東には珍しいなれずしだ。

鯨料理なども両県に共通する。
和歌山県出身の料理研究家、奥村彪生(あやお)さんは「人の心身を癒やすのが生まれ育った郷土の料理。
人の移動と共に伝わったのだろう」と見る。
しょうゆやかつお節の製造技術も黒潮に乗って千葉にもたらされた。

銚子には紀州出身者の子孫による「紀国人移住碑」が建つ
縁は今もとぎれない。
銚子市にある「木国(もっこく)会」は江戸時代に銚子に移り住んだ紀州出身者の子孫が集まる親睦団体。

かつて「紀の国」に「木国」の文字を当てたことにちなむ。

明治31年(1898年)の発足から110年以上の歴史を持つ。
今はヤマサ醤油の浜口道雄社長が会長として約200人の会員を束ねる。

 木国会メンバーは毎年5月、妙福寺(銚子市)に顔をそろえる。
「銚子港もと海浜の一僻地(へきち)、今日の繁栄はひとえに我が紀国人の開拓の功」と刻んだ「紀国人移住碑」の前で慰霊祭を開き、自らのルーツを確認する。
戦時中を含め途切れたことのない恒例行事だ。

 老舗旅館「大新」11代目の垣内貴弘常務(42)は若手メンバーの一人。
「ほぼ毎年和歌山県広川町を訪れ、祖先の供養を欠かさない」という。

<もっと知りたい>
○和歌山県湯浅町はしょうゆ発祥の地とされる。
千葉県のしょうゆ醸造も源流は湯浅にある。
和歌山のシェアは1%に満たないが、天然醸造の伝統を守る会社が多い。
10月には銚子で全国醤油(しょうゆ)サミットがあり、湯浅を含む全国の産地が集まる。
○読売文学賞受賞の『コンニャク屋漂流記』は千葉県出身の祖父を持つ星野博美のノンフィクション。祖先が紀州から渡ってきたらしいと突きとめ、和歌山を訪ねる。


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和歌山さんぽみちプロジェクト

銚子市の「紀国人移住碑」 先祖の功績称え、子孫の交流も

 前号では、今から350年以上前に千葉県銚子市の外川(とかわ)集落を整備した、和歌山県出身者の崎山治郎右衛門の功績について取り上げた。

 和歌山県からの移住者が多い銚子市では、移住者の子孫らによる交流が盛んで、先祖の功績をたたえる活動が今も積極的に行われている。今週は、銚子市に建つ、移住者の功績をたたえる石碑を紹介したい。

 銚子市の中心部にある妙福寺の境内にそれはある。広い境内の一角に「紀国人移住碑」と刻まれた石碑が建ち、「銚子港もと海浜の一僻地、今日の繁栄はひとえに我が紀国人の開拓の功による」とある。

 石碑を建てたのは和歌山県出身者の子孫らにより結成された「木国(もっこく)会」という親睦団体による。同会は発足から100年以上の歴史を持ち、現在も200人もの会員がいるという。この石碑は明治36年に建てられ、毎年5月、この石碑の前に会員が集まり慰霊祭を開くという。

 同会の会員で、先祖が広川町出身の女性に話を聞くことができた。「ご先祖様のおかげで今の私たち、今の銚子があると思う。子孫が交流し和歌山とのつながりを認識し合い、この歴史を後世に伝えていきたい」

 自らの出身地という縁で集まる県人会とは異なり、先祖が和歌山県出身という和歌山とは少し遠い関係でありながらも、誇りと和歌山への愛着を強く持たれていることが何より感慨深い。
    (次田尚弘/千葉)