投稿

ラベル(比企)が付いた投稿を表示しています

悲劇の舞台、比企谷(ひきがやつ)の妙本寺を訪ねて。鎌倉の比企

妙本寺は、鎌倉の比企谷(ひきがやつ)にあります。 かつては比企能員(よしかず)一族の屋敷でした。 源頼朝の乳母・比企尼(ひきのあま)が、比企能員の養母です。 娘・若狭局は第2代将軍・頼家の妻となり一幡(いちまん)を生み、源氏とは深い関係をもちました。 このため、北条氏と対立し、比企一族は皆殺しとなりました。 のちに、第3代将軍・実朝(さねとも)も、一幡(いちまん、第2代将軍・頼家の子)に殺され、源氏の血は絶えました。 悲劇の舞台、比企谷の妙本寺を訪ねて   鎌倉ぶらぶら 読み方 妙本寺        みょうほんじ。〒248-0007 鎌倉市大町1丁目15−1。 比企能員     ひき・よしかず 若狭局        わかさのつぼね 比企局        比企尼(ひきのあま)のこと 一幡           いちまん 千幡           せんまん 比企谷        ひきがやつ 蛇苦止堂     じゃくしどう 公暁            くぎょう 年表 1199年    源頼朝、急死。嫡男の頼家(18歳)第2代将軍に。(幕政は、北条時政、政子が掌握) 1204年    源頼家、北条氏に殺害さる 1218年    源実朝、殺害さる 妙本寺へのアクセス 源頼家  キッズネット 源実朝  キッズネット

齋藤「比企尼(ひきのあま)は源頼朝の乳母(うば)でした」

齊藤 喜久江/齊藤 和枝  比企尼は源頼朝の乳母でした 「比企掃部允(ひき かもんのじょう)遠宗と比企尼(ひきのあま)は伊豆へ配流された頼朝の元へ20年に亘って食糧や衣類を送り届け、生活の面倒を見てきました。」 比企尼    ひきのあま 滑川町    なめがわちょう 三門館    みかどやかた 掃部允    かもんのじょう 比企のページ

畠山重忠。武蔵武士の鑑(かがみ)。埼玉県嵐山

イメージ
愛馬を背負って「ひよどり越え」をする畠山重忠の勇姿 /  嵐山町web博物誌 --(1164-1205)-- 畠山重忠は、鎌倉時代に活躍した武将で、鎌倉幕府を開くときにも力をつくし、源頼朝にたいへん信頼されていました。  平氏全盛の時代に、現在の、埼玉県深谷市畠山で生まれ、、嵐山町に屋敷を構えていました。重忠は、源義経とともに一の谷や屋島で平氏と戦い、奥州征伐でも活躍したといわれています。  しかし、北条氏の陰謀により、42歳で討ち死にしました。   武勇のほまれ高く、潔白な人柄から「坂東武士の鑑(かがみ)」とよばれました。 畠山重忠  嵐山史跡の博物館 畠山重忠辞典 - 深谷市   年表