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李登輝:新渡戸稲造の影響で農業経済学に進んだ台湾元総統

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李登輝:新渡戸稲造の影響で、農業経済学に進んだ台湾元総統 2026年7月21日  (火) 18時半~    川越みがき のつどい    @ホテル三光               ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 森田 初江 川越市長『川越の観光と関連産業の課題について』 笛木醤油社長  笛木吉五郎  (埼玉県物産観光協会副会長) 板本勝雄(石川県 代表。 石川県人会副会長 ) 山岸博之(福井県  代表。 若狭湾観光連盟会長 )  第2部は「暑気払い」。   個人自由発表も 李登輝 アジア第一の哲人政治家といわれる李登輝が 農業経済学に進んだのは、 新渡戸稲造(にとべ いなぞう)の影響によります。  台湾人の李登輝には『「武士道」解題』(小学館)という 新渡戸稲造の『武士道』についての著作があります。  李登輝は中学生の時すでに 鈴木大拙(石川県の禅の研究者を読み、 『臨済録』をひもとき人生の指針としていました。 さらに『漱石全集』、 阿部次郎の『三太郎の日記』、 倉田百三『出家とその弟子』、 『古事記』、 『玉勝間』、 『源氏物語』 『枕草子』 『平家物語』の愛読者でもありました。 高校での愛読書は、     西田幾太郎『善の研究』     和辻哲郎『風土』     中野好夫『アラビアのロレンス』     アインシュタイン『物理学はいかにして生まれたか』     『ファウスト』     『若きウェルテルの悩み』 などで、 岩波文庫だけで700冊以上も所有していました。  1942年8月台北高校を繰り上げ卒業し、 同年10月京都大学農学部農業経済学科に入学しました。  農業経済をめざすようになったのは、 農村の小地主のせがれに生まれ、 早くから農業問題の矛盾に疑問を抱いていたからであり、 新渡戸稲造に出会ったからでした。 新渡戸稲造は、 後藤新平・民政長官の懇請により、 台湾の殖...

八田與一(はった よいち)。ダムをつくり、台湾で一番感謝されている日本人。 Hatta Yoichi。5月8日没

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八田與一(はった よいち)。ダムをつくり、台湾で一番感謝されている日本人。 Hatta Yoichi。5月8日没 八田與一 八田與一夫妻 ・ 1886年2月21日~ 1942年5月8日没。56歳。 金沢市 台湾元総統・李登輝(り・とうき)は、 「台湾で一番の恩人の日本人は、 八田與一技師です」と語っています。 八田與一は「日本精神」の持ち主でした。     ・「誰もがやりたくないきつい仕事をする」     ・「公私のけじめをつける」     ・「国家と国民に忠誠である」     ・「謙虚である」 ◇                    ◆                    ◇ 八田與一は、金沢市に生まれ、 全生涯を台湾のために 尽くします。 烏山頭(うさんとう)ダム 台湾最大の平原・嘉南(かなん)平野(台中市)を、 烏山頭(うさんとう)ダム建設により、 台湾最大の穀倉地帯に変えました。 八田與一の物語は、 台湾の歴史教科書にも登場しています。 【※】 【+8分】 台湾の教科書に載っている日本人の物語 八田與一 (李登輝・元総統) 「八田與一には、義を重んじ、誠をもって率先垂範、 実践する日本的精神が脈々と存在しています」 ・・・・・・ 1942年に、八田與一は、軍に徴用されます。 フィリピンに向かう途中、船が撃沈されてしまいます。 台湾で留守を守っていた妻は、 夫が心血を注いだ烏山頭ダムに、 夫を求めて、身を投じました。 2011年の東日本大震災にあたって、日本は、 台湾から200億円相当の義援金をいただきました。 「徳は孤ならず」、です。 【コメント】 台湾の親日には、 ・優秀な台湾びいきの日本人が 台湾に出向いていたこともあります。: 児玉源太郎、 後藤新平、 新渡戸稲造、 西郷菊次郎(西郷隆盛の子)、 八田與一 ・また「大陸中国人の台湾支配がひどすぎたこともあります」(明石元二郎)。

李登輝。台湾元総統。日本精神の体現者。リークアンユー、マハティール とならぶアジアの3鉄人政治家。7月30日没

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  李登輝。台湾元総統。日本精神の体現者。リークアンユー、マハティール とならぶアジアの3鉄人政治家。7月30日没 李登輝:日本精神の理解・体現者 ・1923年1月15日~2020年7月30日。97歳 李登輝(Lee Teng-hui、1923年 - )は、      シンガポールのリークアンユー、      マレーシアのマハティール とならぶアジアの鉄人政治家です。 【※】2022/07/15。マレーシアのマハティール 97歳は、安倍晋三 家に弔問にまいりました。アジアの3鉄人政治家は、みな「ニッポン、ガンバレ派」です。 日本精神の理解者、体現者である 李登輝の読書歴をご紹介します。 いまの日本は、このような 骨太の気骨のある知識人 を求めています。 <※   李登輝は、堂々と尖閣列島は日本のものであると主張しています。 > ◇                    ◇                    ◇ 李登輝は、台湾の中学生の時すでに鈴木大拙を読み、 『臨済録』(臨済の言行録)をひもとき人生の指針としていました。 さらに      『漱石全集』、     阿部次郎『三太郎の日記』、     倉田百三『出家とその弟子』、     『古事記』、     『玉勝間』、     『源氏物語』、     『枕草子』、     『平家物語』、 の愛読者でもありました。 1940年李登輝は台北高校に入学しました。 1学級40名の中に台湾人は、4~5人のみでした。 英語、ドイツ語、バイオリン、剣道をよくしました。 のちに博学、多趣味の総統といわれるのも、 全教科型の勉強を続けたことが大きかったようです。 特に 剣道で、「忍耐、正確、迅速」 を体得したことが その...

台湾コラム

台湾のニュース  ・・・・・・・・・・・ 坂戸市に台湾・道教の聖天宮(せいてんきゅう)が。 八田與一:台湾で一番感謝されている日本人 台湾への親近感: 笑福亭仁鶴 新渡戸稲造 後藤新平 李登輝と台湾の民主化 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桑原政則のコラム  Twitter(桑原政則のフェイスブック履歴)

台湾への親近感: 笑福亭仁鶴

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* 笑福亭 仁鶴(しょうふくてい にかく、1937年 - ) 上方の落語家 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (NK2013/12/7) 抜粋編集 台湾を訪れた。なぜか台湾には気心の知れた親戚宅を訪ねるような安心感がある。  それ以上に考えられるのは、親日的な感情が人々の中に根を下ろしているためだろう。そう実際に肌で感じることが多い。  戦前、台湾の水利事業に尽くした技師に八田与一という人物がいた。台湾総督府の職員だったが、地元の立場を第一に考える人物で、厳しい人だが信頼も厚かった。八田が設計した烏山(うさん)頭(とう)ダムは、周辺の農地に多大な恩恵をもたらした。現地ではその高潔な人柄を慕って、八田ダムとも呼ばれているという。  おそらく八田にかぎらず、戦前には多くの日本人が友好の種をまき、台湾に大小の足跡を残したに違いない。 アジア各地では、反日感情が繰り返し息を吹き返す。ところが台湾では、いまなお親日感情が衰えていないようだ。 一個人として、台湾は何度でも訪れたい土地だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 八田與一:台湾で一番感謝されている日本人 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ※ 2012年に台湾に投資した日本企業は600社超で、過去最高です。 日本と台湾は電子機器の製造を通じて、関係が緊密です。 また、 2012年中国の反日暴動で、台湾の息がかかっている日系企業の被害はゼロです。 台湾を介すると、北京は紳士となります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 笑福亭仁鶴 崇徳院   【9+】 * http://taiwaning.zening.info/map/Taiwan-County-Map.htm

邱永漢(きゅう・えいかん、1924―)

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― 金儲けの神さま  ― 作家、経営評論家、事業主。 400冊余りの著作があります。 邱永漢は、1924年台南市に台湾人の父、日本人の母の間に生まれました。 10人兄弟の長男です。 台北高校に学び、個人雑誌も発行しました。 李登輝は同窓生です。 台北高校は、そのころほぼ日本人専用でした。 東京大学経済学部に学びました。 警察などに反政府活動でにらまれていました。 1946年台湾に戻ります。 台湾独立運動に関係し、逮捕をまぬがれるため、香港に亡命します。 香港から、日本に郵便小包で商品を送る事業で成功をおさめます。 1954年、日本に移住します。 1955年、直木賞を受賞します。 お金をべっ視している日本社会で、お金をまともにとりあげて独自の道を築きます。 日本で最初にビジネスホテルをつくりました。 大の食通で、『食 は広州に在り』などの著作があります。 1971年、台湾政府と和解し、台湾政府の要請で事業を指導します。 1980年、日本国籍を取りました。 1988年、香港に移住しました。大陸で多くの事業を営んでいます。 好奇心旺盛で、すぐ現場を見に行きます。 現在も東京、台北、中国を毎週飛び回っています。  <*  > 中国のビジネスチャンスは、     食 にあり、とみています。 20年も前から、中国、インドの発展を予言しました。 邱永漢のページ   桑原政則 邱永漢 著作物 もしもしQさんQさんよ やさしく世俗的な題名に特徴があります。