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「三方領地替え」で川越藩は庄内、庄内藩は長岡、長岡藩は川越へ。

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三方領地替え計画  /http://homepage3.nifty.com/s-yoshida2/sub24.htm 川越藩主・越前松平家の松平斉典 (なりつね)は、川越藩から裕福な庄内藩への移封を画策します。 越前松平家の債務を整理するためです。 越前松平家は、徳川家康の次男・秀康を家祖 とします。 転封が重なり200億円もの借財を抱えていました。 大名は、土地持ちではありません。 川越藩主・松平斉典(なりつね)は11代将軍・ 徳川‎家斉(いえなり)の子を養子に迎えていました。 11代将軍・ 徳川‎家斉(いえなり)の55人の子のうち、25男目を養子にもらい受けました。 川越藩主松平斉典は、11代将軍・徳川 ‎家斉から「斉」の字を賜っています。 川越藩主・松平斉典(なりつね)は、以前に老中首座の水野忠成に播磨姫路への転封を願いました。 しかし水野忠成が急逝したため、その願いが頓挫しました。 越前松平家は姫路藩、山形藩、白河藩、川越藩、前橋藩と転封を繰り返します。 1840年、幕府より庄内藩、川越藩、長岡藩へ三方領地替えの幕命が出されます。    ・ 庄内藩主・酒井忠器(ただかた)は、越後長岡藩へ    ・ 越後長岡藩主・牧野忠雅(ただまさ)は、川越藩へ    ・川越藩主・松平斉典(なりつね)は、庄内藩へ 庄内藩の農民たちは、領地替えの命令を阻止します。 江戸にのぼり、命がけの反抗で、幕府に強訴(ごうそ)します。 この訴えは、 義民一揆で 善政藩主を守り抜く運動として 江戸の世論を沸かせます。 他の諸藩からも三方領地替えについての質問状が出され、幕閣の間でも意見が別れます。 この間、11代将軍徳川家斉が死去します。 家督を継ぐはずの徳川‎家斉からもらい受けた養子 も早世しました。 翌年1841年、領地替えの幕命は撤回されました。 ★   ★   ★   ★   ★ 川越藩主をつとめた越前松平家藩主 川越藩主・越前松平家の廟所は、喜多院にあります。 7代が100年、川越藩主をつとめました。 5人の藩主:朝矩(とものり)、直恒(なおつね)、直温(なおのぶ)、斉典(なりつね...