加藤清正。豊臣秀吉につかえ、関ケ原では徳川家康に協力し、熊本城主に。築城の名手。8月2日没
加藤清正。豊臣秀吉につかえ、関ケ原では徳川家康に協力し、熊本城主に。築城の名手。8月2日没 加藤清正 ・ 1562年7月25日。 尾張~ 1611年8月2日没。50歳。 清正は、 尾張(愛知県西部)に生まれ、 小さいときから豊臣秀吉に 仕えます。 秀吉の天下統一を助けます。 秀吉のもとで、肥後(熊本県)の半分を支配する20万石の大名になります。 まだ26歳の若さ です。 朝鮮出兵では事実上の先鋒を命じられ、 足かけ7年の軍役を務めます。 秀吉の死後は、石田三成(みつなり)とあらそいます。 関ヶ原の戦では、徳川方につき, 熊本城主となります。 数年間わたり 熊本城を改修します。 築城の名人 とよばれます。 家康に味方はしますが、 豊臣家の恩は、忘れません。 秀吉が残した豊臣秀頼を守りつづけます。 加藤清正は、 築城に精を出し、 土木工事で田を広げ、 領民たちのことを考えた政治を進めます。 いまも、清正公(せいしょこ)さんとよばれて、 熊本の人びとに愛されつづけています。 加藤清正 尋常小学唱歌 「第五学年用」 【+1】 【漫画】加藤清正の生涯を10分で簡単解説!【日本史マンガ動画】 【+10】 【築城名人】加藤清正 熊本城を築き 肥後熊本藩藩主になるまで 【+8】