生沢(いくさわ)クノ。日本で2番目の女医。Ikusawa Kuno. 6月18日没
→ 生沢クノ。 生沢(いくさわ)クノ。日本で2番目の女医。Ikusawa Kuno. 6月18日没 生沢(いくさわ)クノ /埼玉県庁 ・1864年12月26日。深谷市 ー1945年6月18日没。81歳。深谷市 生沢クノは、荻野吟子に続く、日本で2番目の女医になりました。 埼玉県は近代女医・誕生の地です。 独身を通し、草の根医療に尽くしたので「女赤ひげ」ともよばれます。 ◇ ◆ ◇ 13歳で女医をめざすために、単身で上京します。 18歳で医学校に入学します。 女人禁制のため、生沢クノは断髪、男装で、別室で修学させられました。 森鴎外は講師の1人でした。 23歳で女医2号となりました。 ◇ ◆ ◇ 24歳の時に、川越で講演をします。 花柳界のナンバーワン 久良吉(くらきち)ねえさんに懇願されて、 川越で婦人科医院を開業 します。 「女の病気は女医の手で」を実行します。 <※ 生沢クノは、久良吉(くらきち)ねえさんが用意した、今の初雁中学の裏手で診療活動をおこないます。 久良吉(くらきち)は三味線、舞踊、鼓、太鼓、小唄、端唄、常磐津の名手でもありました。> 献身的な治療をおこない、「女赤ひげ」とよばれるようになります。 川越で10年間尽くしました。 川越を去って後は、郷里の深谷などで、「女赤ひげ」の生活を続けます。 生沢クノは、深谷生まれで深谷で土に帰りました。 生沢クノは、一生を埼玉のために捧げました。 【名言】 (独り言)「女性軽視の時代でした。断髪、男装で、別室で一人で修学させられました」