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浅草寺(せんそうじ)も鬼門封じに 

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浅草寺  /src http://www.senso-ji.jp/ 浅草寺も鬼門の位置に 浅草寺は「せんそうじ」と読みます。 お寺の名前は音読みで読むのが普通です。 熊谷(くまがや)の熊谷寺は「ゆうこくじ」となります。 浅草寺は徳川幕府の祈願寺です。 家康が祈願寺に定めました。 祈願寺(きがんじ) とは、一族の繁栄や無事をお願いするお寺です。 徳川家の厚遇により浅草寺は一段と発展しました。 浅草寺を祈願寺にしたのは、江戸城の鬼門封じになるとの天海の進言によるものです。 浅草寺 浅草寺は、家康以前にも武将たちの信仰を集めていました。 源頼朝、北条政子、足利尊氏なども参詣(さんけい)し寄進しました。 浅草寺史略年表 江戸には江戸三十三観音札所があり、その一番札所が浅草寺(せんそうじ)です。 江戸三十三観音巡礼とは、霊験ある33の寺院を巡る旅です。 江戸三十三観音札所 ・・・・・・・・・・・ 浅草大百科 浅草観光.com

江戸の町はうずまき型

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江戸の水路   江戸の堀と川  /src wp 江戸の町は、うずまき型になっています。 平安京のような碁盤の目状ではありません。 うずまき型は、気のエネルギーをさらに活性化する働きがあります。 日光から龍脈を通って来た気のエネルギーは、うずまき型の江戸で高まります。  龍脈は、人間の血管のようなものです。               このしかけをほどこしたのが天海僧正と言われています。 うずまき型都市の実利は、次のようです。 うずまきだと無限成長できます。 敵から攻められにくく、守りやすいです。 火事の時には、堀が引火を最小に防いでくれます。 堀船で物を遠くまで運ぶことができます。 堀を掘った土で、低地を埋め、海を陸に変えることができます。

江戸城の裏鬼門に増上寺を配置

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増上寺は裏鬼門に配置 増上寺は、江戸を守るために日比谷から裏鬼門に移されました。 増上寺は、 徳川家の大事な菩提(ぼだい)寺 です。 菩提とは、死後の冥福(めいふく)のことで、菩提寺とは、先祖代々の墓という意味です。 徳川家は浄土宗で、増上寺は江戸の中で最も古い浄土宗の寺です。 川越・蓮馨寺(れんけいじ)出身の増上寺の法主(ほっす)・存応(ぞんのう)が、徳川家康と親交を深め、増上寺を徳川家の菩提寺にしました。 1616年死期の迫ったことを悟った家康は、天海ら3人を枕元に呼んで指示しました。 「わたしの遺体は駿河の久能山(くのうざん)にほおむり、 葬儀は増上寺 でおこない、…、1周期が過ぎてから日光に小堂を建ててまつりなさい」 1616年、家康が没すると、存応は増上寺で葬儀の導師を務めました。 ※1617年、天海は導師となり、徳川家康の遺骸を久能山から日光へ移送します。途中、一行1300人は川越の喜多院で4日間にわたり法要します。このため川越の仙波東照宮は、日光東照宮、久能山東照宮とならび三大東照宮と称せられます。 ※天海が存応と論争をしたとの記録が残っています。 増上寺では、 6人の将軍がミイラのあぐらの姿勢で裏鬼門を守り続けていました。 2代秀忠、6代家宣、7家継、9代家重、12代家慶、14代家茂です。 1960年ごろこれらの墓は改葬されました。 家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定の6人は寛永寺で、表鬼門を守っています。 家康と家光は、特別で、日光です。 増上寺