人気の高かった薄熙来(ハクキライ)が解任されました。
紅衛兵でもあった薄熙来は、毛沢東の理念闘争に回帰しようとしていました。
文革の再来、暗部の開示を指導部は恐れたのでしょうか。
2012年秋には10年に一度の指導部交代がおこなわれます。
権力交代には、壮絶な暗闘、権謀術数がまだまだ続き、後付けのレッテル貼りもなされるでしょう。
<* 法治国家でなく、人治国家と揶揄される所以です。>
中国は、ゴルバチョフによるロシアの民主化の失敗を見ています。
指導部は、中国人の市民年齢は16歳、まだ未成年、自主性よりも強いしつけが必要だと確信しているようです。
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周恩来、毛沢東、 薄一波(薄熙来の父) http://goo.gl/EDqry |
その2
(以下は日経2012/5/30を編集)
1949年、共産党政権発足前に鄧小平は3人の幹部と話し合いをもちました。
3人とは、
習近平の父(習仲勲 )、
曽慶紅(前国家副主席)の父、
薄熙来の父(薄一波)
です。
3人の中では、薄熙来の父が浮いていました。
1987年、薄熙来の父は、学生デモへの対処が甘いとして、総書記・胡耀邦を解任する運動の先頭に立ちました。
<* 薄熙来派→☓ 胡耀邦・胡錦濤>
習近平(左)と父 http://goo.gl/eN8IN |
胡耀邦の弟子がいまの総書記・胡錦濤です。
胡錦濤は、習近平を憎からず思うのは当然です。
<* 習近平派= 胡耀邦・胡錦濤>
やがて薄熙来の父は、毛沢東の威を借り、良識派・習近平の父を失脚させました。
<* 薄熙来派☓ 習近平派>
2007年、習近平の父と仲のよかった曽慶紅(前国家副主席)は、習近平に国家副主席の座を明け渡しました。
薄熙来解任運動の始まりです。
<* 曽慶紅・習近平派☓ 薄熙来派 >
習近平グループと薄熙来グループの暗闘は、
60年前に
始まっていました。
薄煕来の後ろ盾は、江沢民です。
胡錦濤にとっては、薄煕来を消すことにより、目の上のたんこぶ・江沢民の上海閥の影響力も削ぐことができ、一石二鳥です。
<* 胡錦濤・習近平派☓ 薄熙来派 ・江沢民派 >
今回の薄熙来更迭劇は中国「人治」政治のほんの一幕です。
人治には、血縁、地縁、知己、縁故、賄賂、有形無形の便宜が複雑にかかわります。
江戸時代でいえば、大名がとつぜんお家断絶、改易、切腹になるようなことでしょう。
中国現代三国志はまだまだ二転三転するでしょう。
中国では共産党、書記がすべてを所有支配