織田信長、豊臣秀吉は、スペイン、ポルトガルの世界分割を阻止

 織田信長、豊臣秀吉は、スペイン、ポルトガルの 世界分割を阻止

トルデ シリャス条約 日本はスペイン、ポルトガルの植民地に
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ポルトガル、スペインは、1492年にレコンキスタ(再征服運動)により、 イスラム勢力を自国から追出し、いち早く航海時代に乗り出しました。 
【※】マゼラン。レコンキスタ。最初の世界一周 

そのころポルトガルとスペインの両雄は、世界争奪をもくろみ、 トルデ シリャス条約で、世界を二分しました。 この条約にローマ法王も承認済みでした。 イギリスなどはまだ自国にとどまったままでした。


日本は、ポルトガル、スペインの両国の 植民地となる予定でした。

スペインは、 1521年 メキシコのアステカ帝国を蹂躙し、 またアステカ文明を抹殺しました。

1533年には、 インカ帝国を文化虐殺しました。

異教徒には動物以下の扱いをしました。

そのころ1565年、ザビエルはポルトガル王の依頼で、 日本にやってきました。

織田信長や豊臣秀吉は外国情報に敏感でした。

宣教師が、日本女性を東南アジア、 さらにはアフリカのマダガスカルにも 売り払っているのを聞いていました。  


信長、秀吉は、またスペイン、ポルトガルが、 マカオなどの港を通して 巨額の利益を得ているを知っていました。

商売人の信長は、いずれ、世界の主たる貿易港を、 楽市楽座にする腹案があったに違いありません。

フィリピンのスペイン人総督は、豊臣秀吉が マニラに攻めてくるのではないかと怖れていました。

しかし、そのまえに、秀吉は明の攻撃を計画していました。

ともあれ、信長、秀吉は、 スペイン、ポルトガルの世界争奪を阻止しました。

『戦国日本と大航海時代』平川新   








モザンビークのページ。信長の家来・弥助は アフリカ系の黒人武士。マダガスカルの対岸

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