江戸城の裏鬼門に増上寺を配置

増上寺は裏鬼門に配置

増上寺は、江戸を守るために日比谷から裏鬼門に移されました。

増上寺は、徳川家の大事な菩提(ぼだい)寺です。
菩提とは、死後の冥福(めいふく)のことで、菩提寺とは、先祖代々の墓という意味です。

徳川家は浄土宗で、増上寺は江戸の中で最も古い浄土宗の寺です。

川越・蓮馨寺(れんけいじ)出身の増上寺の法主(ほっす)・存応(ぞんのう)が、徳川家康と親交を深め、増上寺を徳川家の菩提寺にしました。

1616年死期の迫ったことを悟った家康は、天海ら3人を枕元に呼んで指示しました。

「わたしの遺体は駿河の久能山(くのうざん)にほおむり、葬儀は増上寺でおこない、…、1周期が過ぎてから日光に小堂を建ててまつりなさい」

1616年、家康が没すると、存応は増上寺で葬儀の導師を務めました。

※1617年、天海は導師となり、徳川家康の遺骸を久能山から日光へ移送します。途中、一行1300人は川越の喜多院で4日間にわたり法要します。このため川越の仙波東照宮は、日光東照宮、久能山東照宮とならび三大東照宮と称せられます。
※天海が存応と論争をしたとの記録が残っています。

増上寺では、
6人の将軍がミイラのあぐらの姿勢で裏鬼門を守り続けていました。
2代秀忠、6代家宣、7家継、9代家重、12代家慶、14代家茂です。

1960年ごろこれらの墓は改葬されました。

家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定の6人は寛永寺で、表鬼門を守っています。
家康と家光は、特別で、日光です。


増上寺

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