北白川宮能久親王 (1847-1895、48歳)

― 最後の輪王寺宮(りんのうじのみや) ―

北白川宮能久(よしひさ)親王
日光の慈眼堂にて。2011年10月2日
  • 1867年、寛永寺貫主、輪王寺門跡(もんぜき)となります。
    輪王寺宮とは、日光・輪王寺の門主です。
    皇族がなり、寛永寺貫主を兼ね、また天台宗の座主(ざす)を兼ねるのが普通でした。
    1654年から幕末まで13代続きました。
    寛永寺、輪王寺に皇族を迎えることは、天海僧正の秘策でした。
    (西に乱あれば、東から天皇を…。)
  • 1868年、上野・寛永寺の彰義隊に擁立され、東北に逃避し、
    仙台藩で奥羽越列藩同盟の盟主に擁立されます。
  • 1869年、処分を解かれます。
  • 1870年、伏見宮家に復帰し、明治天皇の命により還俗し、プロイセンに留学します。
  • 1876年、ドイツ人との婚約を発表するが、政府より婚約を破棄させられます。
  • 1884年、陸軍少将に。
  • 1895年、台湾征討近衛師団長として台湾へ出征します。マラリアにかかり、死亡します。