シリアは少数派のアラウィ派がスンニ派を支配(NK2012/10/14)

【メモ】
・わかりやすい解説、高橋和夫


今を読み解く混迷深まるシリア情勢
宗派の対立が背景に 放送大学教授 高橋和夫

 シリアの問題は簡単で難しい。少数派のアラウィ派が多数派のスンニ派を支配している。誰にも簡単に理解できる矛盾がある。しかし、その解決策を見つけるのは難しい。昨年3月に民主化を求める運動が始まって以来、既に3万人ともいわれる犠牲が出ているにもかかわらず、政権側は弾圧を続け権力を手放す気配がない。
少数派が多数派を支配している矛盾の解決策を見つけるのは難しい イラスト・よしおか じゅんいち
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少数派が多数派を支配している矛盾の解決策を見つけるのは難しい イラスト・よしおか じゅんいち
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 なぜ、これほどまでして、アラウィ派は政権にしがみついているのだろうか。そして、なぜ少数派が、そもそも支配者となったのだろうか。歴史的にアラウィ派は差別された貧しい少数派であった。シリア北部の山岳部にひっそりと暮らしてきた。転機となったのは、第1次世界大戦後のフランス支配であった。フランスは士官学校を開き現地人の軍隊を育成した。この士官学校が受け入れた若者の多くは、アラウィ派であった。貧しいアラウィ派の若者にとっては、教育を受けたければ、学費の要らない軍に進むしか道は残されていなかった。
●権力奪取の道筋
 こうしたアラウィ派の若者の代表的な人物が、ハフェズ・アル・アサドである。このアサドの率いるアラウィ派の将校団が、1970年までに権力闘争を勝ち抜きシリアを支配するようになった。アサドは秘密警察のネットワークを張り巡らして国民を監視し、反乱には徹底的な弾圧で応じてきた。このアラウィ派の権力奪取の道筋と支配のメカニズムに関しては、イギリスのシリア研究者パトリック・シールの一連の著作が詳しい。邦訳には『アサド 中東の謀略戦』(佐藤紀久夫訳、時事通信社・1993年)がある。そのアサドが2000年に死亡すると息子のバッシャールが大統領となった。太いタッチで描くと、これがシリアの現代史である。
 しかし「アラブの春」の嵐が吹き荒れた昨年以来、国民の多数派であるスンニ派は、こうした支配の継続を許さない決意を示している。殺されても殺されても抗議を続ける多数派の蜂起は、シリアを統治不可能にした。少数派のアラウィ派は、もはや多数派の反乱を抑え込めない。逆に多数派のスンニ派には少数派政権を倒す軍事力はない。精いっぱいの両者の力比べが続いている。反アサド闘争の一つの核となっているイスラム勢力の理解を助けるのが末近浩太氏の労作『現代シリアの国家変容とイスラーム』(ナカニシヤ出版・2005年)である。
 アラウィ派はアサド政権の存続のためにだけ戦っているのではない。コミュニティの生存そのものを懸けて戦っている。これまでの無慈悲な支配を考えれば、権力を手放せば報復は避けがたいと認識していよう。事実、もし政権が倒れたらどうすると問われて、「アラウィ派をミンチ肉にしてやる」と答えたスンニ派の指導者の発言が、アラウィ派の認識が間違っていないことを教えてくれる。アラウィ派は報復を恐れ、そして過去の苦しみを思い出しながら戦っている。エジプトのように、綺麗(きれい)に政権が倒れ民主化への道をシリアが歩み始めるとは想像しにくい。
●内戦状態の継続
 現在の内戦状態の継続と緩慢なアラウィ派の支配地域の縮小というのが、よりありそうなシナリオではないだろうか。追い詰められればアラウィ派は北部の地域に撤退しても戦い続けるだろう。となると見えてくる風景は、アラウィ派地域そしてスンニ派地域に分裂したシリアであろう。イラクとの国境に近い地域ではスンニ派の部族の力が強くなるだろう。トルコとの国境に近い地域ではクルド人の支配地域が広がるだろう。将来のシリアの構図を考える際には、高岡豊氏の力作『現代シリアの部族と政治・社会』(三元社・11年)が多くを教えてくれるだろう。
 そして周辺諸国が介入する引き金となりそうなのが、クルド人の動向である。もしシリアのクルド人が独立に近づけば、1千万以上のクルド人口を抱えるトルコが、自国への波及を恐れ本格的に介入する可能性が濃くなろう。そしてトルコが介入すれば、シリア情勢は新たな混迷の段階に入るだろう。
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