黒田官兵衛。秀吉の軍師で、情報戦争の先駆者。4月19日没

黒田官兵衛。秀吉の軍師で、情報戦争の先駆者。4月19日没

・1546年12月22日。兵庫県 姫路市(播磨国)~1604年4月19日没。京都市。56歳

黒田官兵衛は、各地の情報収集にひいでていました。

クリスチャンであったことも、情報収集に役立ったようです。

(香川県の)高松城 水攻めと中国大返しは、
黒田官兵衛の案だとの説も。

30歳のころ、織田信長に取り入り、播磨(兵庫県)平定に尽力しました。

荒木村重に捕らえられ、11ヶ月間幽閉されました。
足が不自由になり、その後は輿(こし)で移動するようになリました。
【※】輿(こし)
/ https://www.google.com/…0CAIQjRxqFwoTCJip8pjyi_ACFQAAAAAdAAAAABAD

中国征討では羽柴秀吉の専属参謀となり、手腕を発揮しました。
秀吉の天下統一への指針を決定づけました

秀吉の軍師であった
    竹中半兵衛と仲が良く
両兵衛と称えられました。

1600年に関ヶ原の戦いでは、大規模な軍勢を組織しようとしました。

主君を裏切ったことは一度もありません。

築城の名手で、中津城や福岡城、大坂城、広島城などに関わりました。

息子は黒田長政です。


姫路から天下に翔けた男、稀代の軍師 黒田 官兵衛(前編)  【14+】姫路市
(後編)  【14+】
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