マルコ・ポーロ。『東方見聞録』で日本を紹介。1324年1月8日没。Marco Polo

マルコ・ポーロ。『東方見聞録』で日本を紹介。1324年1月8日没。Marco Polo

マルコ・ポーロ

・1254- 1324年1月8日



マルコ・ポーロ 行旅図


マルコポーロは、イタリアの商人・旅行家です。
水の都 ヴェネツィアに生まれました。


ヴェネツィア 
ベニス(Venice)のこと。水の都で、車は入れません。


17歳で宝石商の父とオジにつれられ、4年かけて陸路で北京に着きました。
元の皇帝フビライ・ハンに仕えました。

1295年にヴェネツィアに戻りました。
旅行の見聞を話しました。

これが『東方見聞録(とうほう けんぶんろく)、
The Travels of Marco Polo』
となり、
ヨーロッパに13世紀のアジアの事情を伝える重要な文献となりました。
大航海時代をみちびくことになりました。

コロンブスは、この旅行記を読んで、
日本にあこがれ、
アメリカ大陸を
発見しました。

マルコ・ポーロは、大航海時代の扉を、この旅行記で開きました。


ジパング】 
マルコ・ポーロの『東方見聞録』で、日本はジパング、黄金の国とよばれました。
ジパングが、ジャパン(Japan)、ニッポン に変化しました。
台湾の対岸の福建語では、ジップンです。
タイ語では、ジープンです。


大航海時代は
15世紀から16世紀にかけ、
スペイン、ポルトガルが、大規模な探検航海をおこなった時代のことです。

イスラム勢力


イベリア半島でイスラム教徒を追い出したた
ポルトガルとスペイン
は、
海外発展に力をいれました。

それは、
    イスラム教徒を攻めるためと、
    イタリア商人が独占していた東方貿易の富を得るため
でした。

マルコ・ポーロがつたえた東洋の知識、
イスラムからつたわった天体観測器、羅針盤、火砲が航海を可能にしました。

ポルトガルでは、
1498年にバスコ=ダ=ガマがインドまで到達しました。
ガマがもちかえった香辛料は、航海費用の60倍の利益をあげました。

イタリアのコロンブスは、スペイン女王の援助をうけて大西洋を横断、
1492年アメリカの西インド諸島に達しました。

スペイン王の命をうけた
マゼランの艦隊は、1519年から1522年までかかって地球を1周しました。

新航路の開拓の結果、ヨーロッパ人は、
アメリカ大陸の文明をほろぼしてしまいました。

アフリカやアジア各地に植民地を広げていきました。

ヨーロッパでは、地中海沿岸にかわって、
大西洋岸の諸国が繁栄にむかいました。

封建貴族が没落し、商工業者が反映するようになりました。

マルコ・ポーロの「黄金の国ジパング」は平泉 

ジャパン、ニッポンは福建語から


名言

「旅は私の学校だ。
自分の目で見、自分の頭で考える」

Travel is my school.
I judge from the eye and think by the head.




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1274(文永11)  元軍九州に来襲(文永の役)

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