南方熊楠(みなかた くまぐす)。世界を駆けた知の巨人、博物学者。Minakata Kumagusu。 12月29日没

南方熊楠。世界を駆けた知の巨人、博物学者。Minakata Kumagusu。 12月29日没 

南方熊楠  1891年

南方熊楠

・1867年5月18日。和歌山市- 1941年12月29日没。満74歳。

南方熊楠(みなかた くまぐす)は、博物学者です。
【*】博物学(はくぶつがく)
動物・植物・鉱物の性質を記録し、整理していく学問

15年間海外で勉強します。
1892年には、イギリスの大英博物館で独学します。

科学雑誌『ネイチャー』などに51本寄稿しました。
歴代最高の本数です。

70種の菌を発見しました。

知識の豊富さから「歩く百科事典」とまで称されました。

熊楠と孫文(中央) 
熊楠を和歌山におとずれた孫文

神社の鎮守(ちんじゅ)の森が失われることを危惧し、
神仏分離令(神社の合祀/ごうし)に反対しました。


自然保護運動、エコロジー運動(生態学。ecology エコロジー)のさきがけでした。
その活動は、
2004年に世界遺産にも登録された熊野古道が今に残る端緒ともなっています。

フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語にたけていた他、
漢文の読解力も高かったです。


昭和天皇にも進貢しました。

        
昭和天皇、南方熊楠を追懐。  1962年

≪ 雨にけぶる神島(かしま)を見て、
紀伊の国の生みし
南方熊楠を思ふ≫ 昭和天皇




【名言】

「物や心を個別に理解するのではなく、
全体がどのように相互作用し合っているか
を理解することが大切だ」




【29分】南方熊楠

【56分】南方熊楠  



 世界を駆けた博物学者 南方熊楠    南方熊楠 顕彰館

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