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【NPO武蔵観研 通信】402号:2022年09月16日

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【NPO武蔵観研 通信】402号:2022年09月16日          musashikanken [at] gmail.com                                       【 編集発行  桑原政則 】    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   ◆09/16 :正岡子規。俳句の写生論を提唱した俳人。Masaoka Shiki。9月19日没。34歳 https://kuwabara03.blogspot.com/2019/09/masaoka-shiki919.html ★ 【子規と漱石】「二人は松山で共同生活を送るなどし、近代文学に大きな足跡を残した」 ◆09/15 :豊臣秀吉。天下を統一。Toyotomi Hideyoshi。9月18日没 https://kuwabara03.blogspot.com/2018/09/toyotomi-hideyoshi918.html ★  【NHK 2026年大河ドラマは】「『豊臣兄弟』」 ◆09/14 :井原西鶴(いはら さいかく)。『日本永代蔵』などで人間の欲望や町人の生活を描く https://kuwabara03.blogspot.com/2025/09/blog-post.html ★  【井原西鶴の作品】「『日本永代蔵)』『世間胸算用』『好色一代男』」 ◆09/13 :一遍上人(いっぺん しょうにん)。踊り念仏。時宗(じしゅう)の開祖。世の中スッキリに https://kuwabara03.blogspot.com/2019/06/ippen99.html ★ 【一遍上人...

『国宝』:歌舞伎役者 人生 /吉沢亮 横浜流星(べらぼう/ツタジュー) カンヌで絶賛

  『国宝』:歌舞伎役者としての人生劇場    /吉沢亮 横浜流星 『国宝』は、あらすじを知っておいたほうが、グーです。 3時間の大作 国宝とは、彫刻、絵画などのたぐいない国民の宝のことですが、 ここでは、人間のことです。 吉沢亮と横浜流星の見分けがつきにくいです。 ヤクザの子  立花喜久雄(タチバナ キクオ  吉沢亮) は、15歳で父を亡くします。 上方歌舞伎の名門である 花井半二郎(渡辺謙) に引き取られ、 女形として芸の道に生涯をささげることになります。 跡取り息子の 俊介(横浜流星) は、 喜久雄 (タチバナ キクオ  吉沢亮)と 共に育ち、 共に歌舞伎役者としての人生を歩みます。 ・・・ 【30分】『国宝』公開記念特番 <https://www.youtube.com/watch?v=e0Vr9sjQmWY>  出演:吉沢亮    横浜流星             /高畑充希 寺島しのぶ     森七菜 三浦貴大 見上愛 黒川想矢 越山敬達    永瀬正敏    嶋田久作 宮澤エマ 中村鴈治郎/田中泯    渡辺謙 【 コメント 】 ・俳優って、役者ってすごいなあとただただ息を呑む作品でした ・死ぬまで何回も見たい大作 ・吉沢亮、横浜流星の並々ならぬ本気を劇場で楽しみました。 ・みんなお願いだから映画館で直接見てくれ ・見ていて鳥肌が立ち終わった時に震えた。 ・圧倒されて腰抜けました。 ・美しくて、壮大で、悲しくて、美しい映画でした。 3Hあっという間。 ・最高の内容でした。あっという間の3時間。 ・4回見せてもらいました、本当にステキ ・ 映画を観てから数日経つのに、余韻から抜け出せない。 【*】国宝病とは、 映画『国宝』をみたことによって、 寝ても覚めても『国宝』のことことばかり考えてしまうヤマイのこと

正岡子規。俳句の写生論を提唱した俳人。Masaoka Shiki。9月19日没。34歳

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正岡子規。俳句の写生論を提唱した俳人。Masaoka Shiki。9月19日没。 正岡子規  ・1867年10月14日。愛媛県松山市~ 1902年9月19日没。34歳。台東区上根岸 正岡子規の父は松山藩士です。 正岡子規は、 日清戦争の従軍記者となります。 肺結核がひどくなり、 ほとんどねたきりの生活がつづきます。 病床で、短歌や俳句の革新をめざします。 俳句では与謝蕪村(よさぶそん)を、 短歌では『万葉集』を重んじます。 自然や人生をありのままにえがく 写生文を提唱 します。 以下があります。 句集『寒山落木(かんざんらくぼく)』、 随筆『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』、 歌論書『歌よみに与うる書』 正岡子規  <  柿くへば  鐘が鳴るなり  法隆寺 > ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ホトトギス  【※】 口の中が赤い 「鳴いて血を吐く ホトトギス」といわれるように、 ホトトギスは口の中が赤いので、 鳴くと血を吐いているように見えます。 正岡子規は、 22歳で結核になり喀血(かっけつ)したとき、 ペンネームを子規にしました。 <子規>とは「ほととぎす」 のことです。 子規は野球が好きで、 「打者」「走者」「直球」 などは子規が翻訳したものです。 正岡子規記念球場  は、 上野公園内にあります。 正岡子規は東大中退です。 子規は1897年俳句雑誌『ホトトギス』を主宰し、 写生俳句を首唱 しました。 門下には     高浜虚子、     河東碧梧桐(かわひがし へきごどう)、     伊藤左千夫、     長塚節(たかし) がいます。 夏目漱石とは 学生時代から交友 がありました。 子規の出身地 松山市は 俳句の盛んなところです。 子規は、日露戦争を勝利にみちびいた同郷の 秋山好古(よしふる)、 真之 (さねゆき) とも交流がありました。 司馬遼太郎『坂の上の雲』に交友録が描かれています。 <「卯の花の 散るまで 鳴くか 子規(ホトトギス)」> 【野球の「 フォアボール 」】 野球の「フォアボール=...