山上憶良。万葉集の人生詩人。Yamanoue no Okura <川越の先人。 倉吉市

山上憶良。万葉集の人生詩人。Yamanoue no Okura <川越の先人。 鳥取県倉吉市

660年 ~733年没。73歳

山上憶良(やまのうえ の おくら)は、『万葉集』の代表歌人です。
    柿本人麻呂、
    大伴家持、
    山部赤人
らと共に奈良時代を代表します。

遣唐使に加わって中国にわたりました。


伝統のある家がらではなかったため、役人としては出世しませんでした。

筑前国(福岡県)の国守となり、歌人でもあった大宰帥の長官・大伴旅人(おおとも の たびと)と親しくなりました。

このころから、山上憶良は歌をたくさん作るようになりました。

人生の苦しみを、うたいつづけ「人生詩人」とよばれるようになりました。

『万葉集』には70首あまりの歌がおさめられています。

『貧窮問答歌』が有名です。

山上憶良の赴任先の福岡県太宰府市には、多くの歌碑があります。

「憶良らは 今はまからむ 
    子泣くらむ それその母も 
        吾(あ)を 待つらむそ」

<憶良たちは、もうおいとまいたします。
子どもも泣いているでしょう。
その子の母も私を待っているでしょうから。>


「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も  何せむに 
勝(まさ)れる宝 子にしかめやも」  説明【+4】

<銀も金も玉もそのような宝が何になろう。
かわいい子どもにおよぶものではない。 >

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 倉吉でよみがえる山上憶良、伯耆(ほうき)国府跡探訪  【+7】
    山上憶良は、716年に伯耆国(ほうきのくに)へ国司として赴任
倉吉市 【地図】

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川越氷川神社の山上憶良の歌碑


山上憶良の歌碑は、柿本人麻呂神社の脇に  /川越氷川神社

山上憶良の歌を刻んだ碑が氷川神社内の柿本人麻呂神社の脇にあります。

 「山柿(さんし)」とは、万葉の二大歌人、 上憶良(やまのうえ の おくら)と 本人麻呂のことをいいます。



 有名な「令反惑情歌」(まどえるこころを かえさしむる歌)です。
歌碑は、『三芳野名勝図絵』の著者 中島孝昌の孫、芳嶺が1887年に建てたものです。

  歌碑は、氷川神社の宮司 山田衛居(もりい)が、川越商人の賛同を得て、
川越の優雅な遊び心で作成したものと思われます。
当時の軽佻な世情への風刺が感じられます。