幸田露伴。『五重塔』。「露伴、漱石、鷗外」といわれる。Kōda Rohan。7月30日没

幸田露伴。『五重塔』。「露伴、漱石、鷗外」といわれる。Kōda Rohan。7月30日没。 

幸田露伴

・ 1867年7月23日。台東区下谷(したや)~ 1947年7月30日没。79歳
東洋的で男性的な作風です。 「露伴、漱石、鷗外」と称せられます。
『五重塔(ごじゅうのとう)』で有名です。
『五重塔』は、のろまな大工「のっそり十兵衛」が、
苦心のすえに谷中霊園(やなか。台東区)に五重塔を完成する話で
す。

 五重塔は1957年放火で消失しました。
谷中五重塔放火心中事件


【正岡子規は、幸田露伴とおなじ1867年生まれ

正岡子規は、幸田露伴とおなじ1867年生まれです。 露伴の『風流仏(ふうりゅうぶつ)』に心酔します。
『風流仏』的小説を書くことが殆ど正岡子規の目的となります。

夏目漱石が語っています。
正岡子規は、参考書を買い込み、
「来客を謝絶す」と自宅に貼り紙を貼り、
『月の都』を書き上げます。

『月の都』を持って、正岡子規は幸田露伴を訪ねます。
のちに露伴から返事は、子規の満足するものではありませんでした。



露伴の子孫には、幸田文(あや)がいます。



史伝に、以下があります。
    『二宮尊徳翁』、    『頼朝』、    蒲生氏郷』、    『平将門


【名言】

「努力よりほかに、
われわれの未来をよくするものはなく、

また努力よりほかに、
われわれの過去を美しくするものはないのである」


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