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田中一村(いっそん)。奄美を描き続けた孤高の画家。Tanaka Isson。9月11日没

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田中一村(いっそん)。奄美を描き続けた画家。Tanaka Isson。9月11日没 田中一村。田中一村記念館にて。/奄美パーク ・1908年7月22日。栃木県~1977年9月11日没。69歳。奄美大島 田中一村展 奄美の光   魂の絵画  https://isson2024.exhn.jp/ 2024年9月19日(木)~12月1日(日) 東京都美術館  台東区上野公園8-36 【追加分】 【3分】東京都美術館「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」 【追加分】 【15分】奄美で独り絵を描き続けた画家「田中一村」ってどんな画家?《美術解説》 大好評です。 ---------- 【地図】  奄美・沖縄4地域  世界自然遺産に 奄美・沖縄4地域 世界自然遺産  奄美沖縄自然遺産  2021年、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部 及び 西表島(いりおもてじま)」が、 きわめて貴重な生物や生態系を有しており、 世界自然遺産としてふさわしいと認められました。 ---------- 大島ツムギのドロ染め。背後には一村の家  /奄美にて ドロ染めは、田中一村もおこないます。 日を変えて5回染めます。 回数が多ければ多いほど、光沢が出ます。 この作業の前に、車輪梅(テーチギ=鉄木)に80回ほど 染めます。 向こうに見えるのは一村宅です。 一村は、この掘っ立て小屋に引っ越して来て 「大きくて、まるで、御殿のようだ」と喜びます。 名作「アダンの木」  一村は、人気(ひとけ)のない縦長の絵を好んでえがきます。 大きな横がきの絵は、狭い4畳半の家では描けません。 (画像の出典:『奄美群島日本復帰50周年記念 奄美を描いた画家 田中一村展』2004年) ・・・・・・・・・・・ 田中一村(いっそん)は、 1908年栃木市に生まれます。 7歳で文部大臣賞を受賞し神童とよばれます。 18歳の時には、重鎮から激励されるなど、 将来を嘱望(しょくぼう)されます。 しかし、中央画壇とは一線を画し、清貧の中で画業に励みます。 1958年 50歳の時、奄美に移ります。 50歳から亡くなる69歳までの奄美生活となります。 生涯の絵が奄美で待っています。 手元には...

青春についての名言

青春とは人生のある期間ではなく心のもち方を言う。 サムエル・ウルマン 青年にすすめたいことは、ただ三語につきる。すなわち働け、もっと働け、あくまで働け。 ビスマルク 若いときに苦い水を飲まなかったやつは、ひだちが悪いよ。 山本有三 青年は未来があるというだけで幸福である。 ゴーゴリ 年をとってから暖まりたいものは、若いうちに暖炉を作っておかなければならない。 ドイツの諺 青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、中年になってからなんの力も持たないだろう。 J・A・コリンズ 青年は教えられることより刺激されることを欲するものである。 ゲーテ 青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも好ましいものだ。 B・ディスレイリィ 青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。もう一度やれと言われてもお断りしたい。 吉行淳之介 何もかも失われた時にも、未来だけはまだ残っている。 ボビー 一般に青年が主張する内容は正しくない。しかし、青年がそれを主張するそのこと自体は正しい。 ジンメル (改稿:2012年4月)

西郷の妻・加那は「恋人=愛(かな)し」から

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黒糖せんべい 愛加那 (鹿児島~沖縄へのゆれる船上にて撮影のため、ピンぼけ)。2008年2月 西郷隆盛の奄美での妻の名は愛加那です。 加那とは「愛(かな)し」に由来し、「恋しい人」のことです。 奄美ではよく使われます。 田端義夫が、1962年(S37年)にうたった「島育ち」に 「加那(かな)も年頃 加那も年頃」と加那がうたわれています。 奄美の名瀬(なぜ)港から沖縄への船の売店で「沖縄へのみやげは?」とたずねたら、写真の黒糖せんべい「愛加那」を真っ先に推薦されました。 「加那」という黒糖焼酎もあります。 黒糖焼酎は奄美だけに許された焼酎で、毎年10%売り上げがのびています。 黒糖焼酎 加那  40度 < 田端義夫の思い出 > 田端義夫は、三重県松阪市の出身です。今から60年ほど前、わたしも疎開(そかい、戦争で田舎にすむこと)で松阪(まっつぁか)のさらに山奥に住んでいました。 松阪市生まれの田端義夫が名古屋で美空ひばりと共演中、何者かにほほを切られました。 地元の松阪では「バタやんが、えらいことに、おうたんや」と大騒ぎでした。 1962年の「島育ち」を、東京での学生時代に昔のバタやんを思い浮かべながら、口ずさんだりしました。「加那(=恋しい人)」は人名だと今回の奄美訪問まで40年間おもっていました。 奄美合宿で金メダルを獲得した野口みずき選手も、三重県出身です。バタやんの「島育ち」が無言の追い風になったのでしょうか。 「島育ち」 [演奏] 1 赤い蘇鉄(そてつ)の 実も熟れる頃 加那(かな)も年頃 加那も年頃 大島育ち 2 黒潮(くるしゅ) 黒髪(くるかみ)  女身(うなぐみ)ぬ かなしゃ 想い真胸に 想い真胸に 織る島紬(つむぎ) 3 朝は西風 夜(よ)は南風 沖ぬ立神(たちがみゃ) 沖ぬ立神 又 片瀬波 夜業(よなべ)おさおさ 織るおさの音 せめて通わそ せめて通わそ 此の胸添えて (有川邦彦作詞・三界稔作曲) 田端義夫 1919年生まれ ・・・・・・・・・・・ 【※】 三重県・松阪(まつさか)市 蒲生氏郷。 三井高利 (現在...