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【武蔵観研通信】301号:2021年1月30日

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★   【武蔵観研通信】301号:2021年1月30日               musashikankenATgmail.com    ATを@に変更 ☆                                   【 編集発行  桑原政則 】    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ 川越、埼玉 〇 新型コロナ  国内感染の状況<東洋経済  背景は黒でグリーンのグラフ。 「都道府県別」で「埼玉県」をなぞってください。 〇 埼玉県  新型コロナウイルス感染症の発生動向(1月28日)   http://www.pref.saitama.lg.jp/a0701/shingatacoronavirus.html     〇 埼玉県市町村  発生状況 地図      http://www.pref.saitama.lg.jp/a0701/covid19/jokyo.html 〇 コロナウイルス データ・ニュース  NHK https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/?cid=dchk-commonheader 〇 世界の死亡者 > 日本0.55万/総人口1.3億    アメリカ43万/3.2億    ブラジル22万/2.1億    インド15万/13億   イギリス10万/7千万    ドイツ5.6万/8千万    フランス7.5万/7千万    イタリア8.7万/6千万 ・ YouT...

織田信長は、中国事情にも通じていた。岐阜。永楽通宝。「信長」=「桑」:48

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織田信長は、中国事情にも通じていた。岐阜。永楽通宝。「信長」=「桑」: 48 < 戦国時代のページ 織田信長は、中国事情にも通じていました。 禅僧・沢彦宗恩(たくげん そうおん)が、信長の教育係、参謀でした。 幼い頃から信長のそばにいて、天下を志すよう指導していました。 信長は、稲葉山を「岐阜」とつけました。 「岐阜」とは、「左右を見分けることのできる岡」という意味です。 周の王が、周の 岐 山から興って天下を平定したことによります。 周は殷を滅ぼし前11世紀に建国しました。 信長はまた、中国の 「永楽通宝」を織田家の旗印 にしていました。 貨幣流通に早くから注目していたためででしょう。 永楽通宝 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ ja/e/e6/Nobunaga_flag.png 信長の名前にも、特別の思いが込められています。 48をあらわすめでたい数字が込められています。 信長の「信」は、父の「信秀」に由来します。 沢彦宗恩(たくげん そうおん)によると、 「信長」は「桑」の反切(はんせつ)です。 信長( s hin ch ou )は、     語頭音がsで、     語末音がouです。 souは、「桑」となります。 「桑」の元の字は「 桒 」です。 「 桒 」は、「十」が4個と「八」からなり、48を意味します。 四十八手、四十八滝は縁起のいい数字です。 「桒寿(そうじゅ)」とは、48歳のお祝いのことです。 「扶桑(ふそう)」は日本国のことです。 信長には 沢彦が、家康には天海という参謀がいました。 秀吉にはいませんでした。

織田信長、豊臣秀吉は、スペイン、ポルトガルの世界分割を阻止

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  織田信長、豊臣秀吉は、スペイン、ポルトガルの 世界分割を阻止 トルデ シリャス条約 日本はスペイン、ポルトガルの植民地に https://www.japanjournals.com/images/stories/survivor/170629_vs-armada01/photo01.jpg ポルトガル、スペインは、1492年にレコンキスタ(再征服運動)により、 イスラム勢力を自国から追出し、いち早く航海時代に乗り出しました。   【※】 マゼラン。レコンキスタ。最初の世界一周  そのころポルトガルとスペインの両雄は、世界争奪をもくろみ、 トルデ シリャス条約で、 世界を二分 しました。 この条約にローマ法王も承認済みでした。 イギリスなどはまだ自国にとどまったままでした。 日本は、ポルトガル、スペインの両国の 植民地となる予定でした。 スペインは、 1521年 メキシコのアステカ帝国を蹂躙 し、 また アステカ文明を抹殺 しました。 1533年には、 インカ帝国を文化虐殺 しました。 異教徒には動物以下の扱いをしました。 そのころ1565年、ザビエルはポルトガル王の依頼で、 日本にやってきました。 織田信長や豊臣秀吉は外国情報に敏感 でした。 宣教師が、日本女性を東南アジア、 さらにはアフリカのマダガスカルにも 売り払っているのを聞いていました。   信長、秀吉は、またスペイン、ポルトガルが、 マカオなどの港を通して 巨額の利益を得ているを知っていました。 商売人の信長は、いずれ、世界の主たる貿易港を、 楽市楽座にする腹案があったに違いありません。 フィリピンのスペイン人総督は、豊臣秀吉が マニラに攻めてくるのではないかと怖れていました。 しかし、そのまえに、秀吉は明の攻撃を計画していました。 ともあれ、信長、秀吉は、 スペイン、ポルトガルの世界争奪を阻止しました。 『戦国日本と大航海時代』平川新     モザンビークのページ。信長の家来・弥助は アフリカ系の黒人武士。マダガスカルの対岸