川越城の中ノ門堀跡 <川越
(2010年4月4日改稿)
川越市にまた観光名所がふえます。
旧川越城内に唯一残る堀跡、中ノ門堀跡(川越市郭町1丁目)です。
中ノ門堀跡は、県指定史跡です。
長さ43メートル、幅20メートル、深さ5メートル。
中ノ門堀は、市役所側から本丸(博物館側)へ攻める敵を
はばむための3本の堀のひとつでした。
高さ2メートルの白壁には、鉄砲用の四角穴(鉄砲狭間、てっぽうざま)が見えます。
川越城は、1457年太田道真、道灌が築城しました。
中ノ門堀は、1639年に川越藩主になった松平信綱が造りました。
明治以降、川越城内の建物は壊され、堀跡も埋められました。
朝9時から夕5時まで公開されます。
市役所と川越城本丸御殿、博物館の間にあります。
問い合わせは、教育委員会文化財保護課へ。
中ノ門堀跡位置図
*【追記】
川越市は、
銭洗い弁天
河越館
中ノ門堀
など観光開発に熱心です。
観光は、つくる(再発見する)ものであり、
ものがたる(物語をつくる)ものであり、
常に更新し続けることの
良き 例証です。
【作図メモ】
Google Docsで作成
中ノ門堀跡 冠木(かぶき)門の入り口
中ノ門堀跡 鉄砲狭間(ざま)も
敵の侵入をはばむ仕組み
川越市にまた観光名所がふえます。
旧川越城内に唯一残る堀跡、中ノ門堀跡(川越市郭町1丁目)です。
中ノ門堀跡は、県指定史跡です。
長さ43メートル、幅20メートル、深さ5メートル。
中ノ門堀は、市役所側から本丸(博物館側)へ攻める敵を
はばむための3本の堀のひとつでした。
高さ2メートルの白壁には、鉄砲用の四角穴(鉄砲狭間、てっぽうざま)が見えます。
川越城は、1457年太田道真、道灌が築城しました。
中ノ門堀は、1639年に川越藩主になった松平信綱が造りました。
明治以降、川越城内の建物は壊され、堀跡も埋められました。
朝9時から夕5時まで公開されます。
市役所と川越城本丸御殿、博物館の間にあります。
問い合わせは、教育委員会文化財保護課へ。
中ノ門堀跡位置図
*【追記】
川越市は、
銭洗い弁天
河越館
中ノ門堀
など観光開発に熱心です。
観光は、つくる(再発見する)ものであり、
ものがたる(物語をつくる)ものであり、
常に更新し続けることの
良き 例証です。
【作図メモ】
Google Docsで作成

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