井沢元彦:天武は天智とその息子を殺害 <読書メモ 

井沢元彦『 「常識」の日本史』 <読書メモ 

672年壬申の乱で、天武(大海人皇子、おおあまのおうじ)は、
亡き天智(てんじ)天皇の息子、大友皇子(おおとものおうじ)を撃ちます。

『日本書紀』は、天武天皇が、息子の舎人(とねり)親王に
まとめさせた日本初の歴史書です。
8分の1が天武天皇のことに費やされています。

しかし、天武天皇の年齢が記されていません。

井沢元彦は次のように推理します。

どうも、テンム側は、テンジを暗殺したようです。
テンム側は、テンジの息子の大友皇子も殺します。
テンジの息子の大友皇子は、テンジの正当な後継者でした。

テンムは、皇位につくことを正当化するために、
テンジの兄であるにもかかわらず、
弟であるといつわったようです。

テンムは、皇族ではない母から生まれたために、
兄であるにもかかわらず、
弟のテンジに皇位を奪われていたのでした。

日本書紀 720年に完成
天武天皇
壬申の乱
舎人親王

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