坂東武者(ばんどうむしゃ)は、どのように誕生?高句麗。百済・大陸



高句麗の位置
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北朝鮮を中心に高句麗(こうくり)がありました。
満洲人で、満洲から南下してきました。

騎馬民族の高句麗は南の百済(くだら)を圧倒しました。
百済は東の新羅(しらぎ)とも戦っていました。

百済は日本に援軍を乞いました。
天智天皇は兵を送りました。

しかし、663年倭・百済軍は白村江(はくすきのえ)の戦いで、新羅軍に敗れ、
このため百済は滅びます。

滅亡した百済人は、さかんに日本へ流入しました。
百済人は騎馬民族の高句麗と戦っていたので、騎馬も得意でした。

彼らは、高い農業土木技術ももっていました。

やがて百済人や大陸からの渡来人は、関東の比企地域などへも移住し、
荒れ果てた土地を開墾して、地主にもなりました。

畠山重忠(はてけやま しげただ)などの坂東武者(ばんどう むしゃ)はこうして誕生しました。



高句麗
白村江(はくすきのえ)の戦い

【※】坂東(ばんどう)
坂東とは、箱根の「坂」の「東」側のことで、関東のことです。
「坂東太郎」は利根川のことです。