川越城:本丸御殿を残すのは、川越城と高知城だけ

川越城本丸御殿
本丸御殿で待機中の家老たち
天井にはボールの跡が

川越城本丸御殿は、日本百名城のひとつです。

本丸御殿が残っているのは、川越城と高知城だけです。

川越城は、江戸城の出城のように重視されました。
藩主は幕府の重臣から任命されました。

将軍は鷹狩などで、川越城へよく「お成り」になりました。
本丸御殿は、将軍のための「お成り御殿」でした。

江戸幕府の老中が城主に選ばれましたので「老中の城」といわれました。

今の川越高校が、馬場でした。

川越城図(※)

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川越城の歴史
  1. 1457年、太田道真、道潅父子が、扇谷上杉持朝(おおぎやつ  うえすぎもちとも)の命により、築城しました。
  2. 1537年、北条氏政が城を攻略し、後北条氏の関東攻略の拠点になりました。
  3. 1590年、豊臣秀吉の関東攻略で川越城は降伏しました。
  4. 1590年、徳川家康は江戸に入り、川越城に酒井重忠を城主に配置します。以降幕府の重臣が配されます。。
  5. 1639年、川越城主・松平信綱は、川越城を拡張します。(33万平米)。
  6. 明治には、本丸御殿が入間県の庁舎に。その後「入間郡公会所」、タバコ工場の「川越分工場」、「初雁武徳殿」という武道場になり、「初雁中学仮校舎・屋内運動場」、武道場に。
     <*  明治以降他の日本の文化遺産同様、無残な扱いを受けてきました。>

江戸初期の川越城「江戸図屏風」 (※)

川越城本丸御殿  川越市

「江戸図屏風」には川越城でくつろぐ3代家光も

(※)
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