摂関政治 全盛 藤原道長 <藤原道長

摂関政治 全盛 藤原道長    ↓赤い囲み

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藤原道長。藤原氏の黄金時代を築く。「
この世をば…」 。平等院鳳凰堂。1月3日没 



・966年。京都~1028年1月3日没。62歳。 京都
紫式部は、藤原道長につかえ、『源氏物語』をあらわしました。





藤原道長は、1016年に摂政(せっしょう。天皇の代理者)になります。
娘3人を皇后にし、天皇のおじい様となって、
藤原氏の黄金時代を
もたらします。

30年間政治の実権をにぎります。

子の頼通(よりみち)の時代と合わせて、
道長・頼通は摂関政治の全盛期をきずきます。


【※摂関(せっかん)政治
天皇がおさないときは「摂政(せっしょう)」、
成人のときは「関白」となっておこなう政治です。
聖徳太子は摂政、豊臣秀吉は関白です。


文学が好きで、漢詩や歌もよみます。
紫式部が大のお気に入りです。


藤原時代(平安中期後期)には、
浄土芸術、彫刻、絵画、建築などの優美な芸術が発達します。


藤原道長は、藤原鎌足の子孫です。

【※ 藤原鎌足(ふじわら の かまたり)=中臣鎌足
藤原氏の祖です。
天智
(てんじ)天皇の腹心で、
大化の改新を実現
します(645年)。
律令体制の基礎をきずきます。


【名言】

≪ この世をば  わが世とぞ思ふ 
もち月(望月)の かけたることも  なしと思へえば ≫


(この世はわたしの世である。
まるで、満月のように欠けた所は何もないと思えるから)


【※ 平安時代の政治


平安時代の政治は,
    1)桓武(かんむ)天皇の政治
    2)摂関政治
    3)院政
    4)平氏(へいし)の政治

と続きます。


※ 院政
天皇が、上皇(じょうこう。退位した天皇)や
法皇(ほうおう。仏門に入った上皇)になってからもおこなった政治です。


※ 紫式部
紫式部は、藤原道長につかえ、源氏物語』をあらわしました。
 『源氏物語』は、世界最初の小説です。中国では500年後に小説があらわれます。


平安朝400年間は世界史上最高の文明の時代です。 そのころの日本の人口は1000万、貴族は100人でした。

貴族の世の中―藤原道長― 共立映画社製作 【19】


【※平等院鳳凰堂】 


藤原道長の子 頼通が、藤原道長や藤原氏のために建てた寺院です。
京都府宇治市。世界遺産。


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