舜帝朝見 ( しゅんていちょうけん ) の 儀

あいさつを受ける舜帝
唐門(からもん)は陽明門をくぐった正面に  By 日光観光協会
唐門(からもん)は、大名などの高官だけが通ることができた一番重要な門です。
いまでも国賓クラスの人々だけが許されています。

600以上の彫刻が施されていますが、中心は、
    舜帝朝見 ( しゅんてい ちょうけん ) の 儀 ( ぎ )
です。

舜帝が正月に大勢の役人からあいさつを受けている場面です。
朝見とは、臣下が天子に拝謁することです。

中国では、堯帝(ぎょうてい)、舜帝の時代が最もよく国が治まった理想の時代といわれています。

堯舜の時代は中国神話の世界です。

◇                    ◇                    ◇

舜帝は、農夫でした。
継母からいじめられていましたが、「ママハハでも親は親です。」といって孝行を続けました。
堯帝は、舜帝を気に入り、娘婿にしました。

堯帝の没後、堯帝の息子が帝位につくはずでしたが、人望がありませんでした。

舜帝が、やがて周囲に推されて、帝位につきました。

ここから禅譲(ぜんじょう)という言葉が生まれました。
禅譲とは、天子が世襲しないで、有徳の人に位を譲ることです。

◇                    ◇                    ◇

有徳の人・舜帝は、どことなく徳川家康に似ています。
舜帝は徳川家康を模して彫られたようです。

◇                    ◇                    ◇

舜帝は「内平外成」という言葉を残しています。
内たいらかにして、外なる、ということです。

舜帝が、優秀な人材を登用した結果、国がよくおさまりました。

(内平らかにして、外成る)から
   平成
の年号が生まれました。

東照宮境内案内図

【付記】
かつて中国古典は、日本人の教養の根幹でした。
なおざりにされすぎているようです。