ペリー。1853年黒船で来航。3月4日没。アメリカ情勢。 阿部正弘。岩倉使節団。川越藩

ペリー。1853年黒船で浦賀に来航。アメリカ情勢。 阿部正弘。岩倉使節団。川越藩。3月4日没。Matthew Perry  
ペリーの版画

・ 1794年4月10日~1858年3月4日没。63歳

明治維新ごろのアメリカ

明治維新頃のアメリカは、アメリカ・メキシコ戦争に勝って
西海岸のカリフォルニアを獲得したところです。
ねらうは清との交易です。
 
まだ小国のアメリカは、
大英帝国の中国市場を狙います。

アメリカの世界戦略は、
太平洋航路を開き、日本経由で、
清と貿易を開くこと
です。

クジラは目的ではありません。

老中首座(首相)の阿部正弘は、
「開国、富国、強兵」 を
決断します。

阿部正弘は、明治維新を先取りします。
阿部正弘は、明治維新の父です。

勝海舟、高島秋帆(しゅうはん)などの開明派を登用します。

このあと日本政府は、
「岩倉使節団100名超」を2年間派遣します。
新政府ができたばかりで、要人を2年間派遣する大英断です。
世界で初めての英断です。
よその国ではできません。

岩倉使節団 NHK 【+1】

このころ欧米列強は、「産業革命と国民国家の形成」の取り組みの真っ最中です。

使節団の結論は、
「すご~い。

でも。
日本も
… 
30年かけたら、追いつける」です。


年表
1776    アメリカ独立  
1853    ペリー来日
           この頃   アメリカはハワイ、フィリピンへも進出  
1861    南北戦争
1871    岩倉使節団


かつてのアメリカ

1853年ペリーが黒船4隻を率いて浦賀に来航します。
川越藩も関与しています。

日本は、
ペリーの動向を
オランダを通しつかんでいます。

その頃のアメリカは小国です。
植民地をつくる余裕はありません。 

しかし、アメリカのやり方は今も変わっていません。
おどし、砲艦外交、…、です。

Description:

ペリー来航  【2+】


ペリーの航路図。ニューヨーク側⇒ アフリカ南端⇒インド洋⇒日本



6月3日、1853年。 ペリーが黒船を率いて浦賀に来航


ペリーを振り回した日本の黒船外交:林大学頭

ペリー来航で江戸湾警備をおこなった川越藩








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【中学生用課題:ペリーの来航】 「ペリーの来航で川越藩は何をしたか」を調べよう。 江戸湾警備。人物。

こども 幕末年表 





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