第23回 近松門左衛門~江戸時代の文化~

第23回 近松門左衛門~江戸時代の文化~


■ scene 01 人形浄瑠璃の脚本家

武士から町人に身分を変え、夢だった脚本家(きゃくほんか)に転身した近松門左衛門。何の脚本かというと、人形浄瑠璃(じょうるり)といって、美しい人形が織り成す物語です。歴史上の人物などを主人公にした「時代物」のほか、実際に起きた事件などを題材に、町人の生き様や思いがぎゅっとつまった物語を、近松は手がけていくことになります。



■ scene 02 “天下の台所”大阪

近松門左衛門は江戸時代に活躍(かつやく)した劇作家です。今から350年ほど前、徳川幕府のもと、戦のない平和な世が続いていました。物の流通が盛んになり、特に栄えたのが江戸と大阪です。“天下の台所”とよばれた大阪では、全国から集められた米や特産物が取り引きされました。経済的に豊かになった町の人々は思い思いの娯楽(ごらく)を楽しむようになります。特に人気を集めたのが人形浄瑠璃です。三味線と語りによる日本固有の人形劇で、歴史上の物語が多く上演されました。夢中で見る人々のなかに近松がいました。当時の身分は武士でした。



■ scene 03 曽根崎で起きた心中事件

すっかり心をうばわれた近松。人形浄瑠璃の作家になる決意をし、武士の身分を捨てて転身します。
そして、あだ討ち劇などの「時代物」を多く手がけていきました。
そんな近松に大きな転機が訪れたのは51歳(さい)のとき。
大阪の曽根崎(そねざき)で恋人(こいびと)同士の男女が自ら命を絶つ心中(しんじゅう)事件が起こったのです。
町は事件の話題で持ちきり。
近松は亡くなった二人に強く心を動かされ、事件をもとに脚本(きゃくほん)を書くことにしました。
二人の思いに寄りそいながら脚色を加え、より深い人間ドラマに仕上げました。
事件から3週間で書き上げた作品、『曽根崎心中』です。



■ scene 04 ドキリ★町人が主役の作品を多く手がけた

醤油(しょうゆ)店につとめる徳兵衛(とくべえ)と、恋人(こいびと)のお初。
二人は、たがいに別の人といっしょになる定めでした。
徳兵衛は友人にたのみこまれ、店のお金を貸します。
しかしそれをふみたおされ、ぬすみの罪まで着せられてしまいます。
ぬれぎぬは晴れず、いっしょにもなれない。傷つき追いつめられた二人は、死を選ぶのです。
歴史上の人物ではなくふつうの町人が主役という、前代未聞(ぜんだいみもん)の『曽根崎心中』は大ヒット。
近松はこのあとも、町の人をえがいた作品を次々と発表します。



■ scene 05 花開く才能

100本以上の人形浄瑠璃を書いた近松。
その作品は歌舞伎(かぶき)でも上演されました。
300年がたった今も、大切に演じつがれています。
人形浄瑠璃、そして歌舞伎。
近松の才能は、町人文化の発展とともに花開きました。



■ scene 06 江戸時代の新たなアートの確立

江戸時代、芝居(しばい)の人気とともに、新たなアートが確立します。
「浮世絵(うきよえ)」です。
歌舞伎(かぶき)のスターをえがいた「役者絵」や、人気のあった相撲(すもう)の絵。
ファッションの流行に影響(えいきょう)をあたえた「美人画」も人気でした。



■ scene 07 ドキリ★町人中心の文化が栄えた

浮世絵ブームで印刷技術が発達し、本の出版も盛んになります。
井原西鶴(いはら・さいかく)は、町人の生活をもとに、「浮世草子(うきよぞうし)」とよばれる小説を書きました。
松尾芭蕉(まつお・ばしょう)がよんだ俳諧(はいかい)の句集も人気をよびました。
町人文化が最もはなやかだった元禄(げんろく)時代に活躍(かつやく)した松尾芭蕉、井原西鶴、そして近松門左衛門は、“元禄の三大作家”と称(しょう)されました。
近松が生きた江戸時代、町人が主役の文化が栄えた時代でした。

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