第6回 鑑真~仏教の発展~

第6回 鑑真~仏教の発展~

10年以上もかけて日本へ
鑑真は奈良時代に、日本に仏教を正しく広めるため唐(とう)からやってきた僧(そう)です。
鑑真は、日本に行くとちゅうで目が見えなくなってしまいました。

正しい仏教を広めるために
そのころ日本では、仏教の力で国を治めようとして寺や大仏を作りました。
その建設のため、農民たちには重い税や労働が課せられ、苦しい生活を強いられていました。
一方、その当時、僧には税がかかりませんでした。
そのため、仏教をろくに知らないのに僧になって税をのがれようとする者が急に増え、仏教界はみだれました。
そこで朝廷は、正しい仏教を教えてくれる僧を日本に招こうと、唐に遣唐使(けんとうし)を送りました。

鑑真が伝えた「戒律」で仏教が発展
鑑真は六度目の挑戦でようやく日本にたどりつきます。
日本をめざしてから10年以上もたっていました。
やっとの思いで奈良の都に着いた鑑真が行ったのは、戒律(かいりつ)を伝えることでした。
戒律とは、僧が守るべき仏教の大切なきまりです。
鑑真は、戒律を守らせることで、仏教を正しく理解するたくさんの僧を育てました。

唐招提寺の建立
759年、鑑真は、さらにたくさんの僧を育てるため、唐招提寺(とうしょうだいじ)を都に開きます。
僧の修行の場だった講堂をはじめ、仏像が並ぶ金堂(こんどう)などは、奈良時代に作られた貴重な建物として世界遺産に登録されています。
この時代には、唐の影響を強く受けた仏教美術が花開き、数多くの仏像や建物が作られました。

日本は唐を通じて世界とつながっていた
東大寺にある正倉院には当時の天皇ゆかりの美術工芸品が保存されています。
ガラスのコップ『紺瑠璃杯(こんるりのつき)』は、東ローマ帝国ではやった形です。
『漆胡瓶(しっこへい)』は、うすく細い木材を束ね、うるしをぬった水差し。ペルシャ、今のイランで同じものが出土しています。
『螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんのごげんびわ)』という楽器。ふつうの琵琶は弦が四本ですが、この五弦の琵琶はインドが起源です。
これらの宝物を見ると、当時の日本が唐だけではなくシルクロードを通ってアジアやヨーロッパとまで交流があったことがわかります。


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