第7回 桓武天皇~平安京の誕生と人々のくらし~
第7回 桓武天皇~平安京の誕生と人々のくらし~
平城京の貴族の生活
桓武天皇は、奈良時代の平城京の最後の天皇です。
710年に、唐の都、長安をまねて造りました。
乱れた政治を立て直すため都を移した
都では有力な貴族たちの勢力争いが起きていました。
さらに桓武天皇をなやませたのが、先の天皇によって保護され、権力を持った僧侶(そうりょ)たちです。
かれらは政治にまで口を出すようになり、国が乱れました。
そこで桓武天皇は都を移すことを決断します。
都を京都の長岡京に移し、さらに794年には今の京都市に移しました。
平安京はどんな都だった?
街は碁盤(ごばん)の目のように区分けされ、大勢の人が住んでいました。
中央を南北につらぬくのが、朱雀大路(すざくおおじ)です。
そのいちばん北側には、天皇が住む宮殿や役所がありました。
そして貴族たちは、「寝殿造(しんでんづくり)」とよばれる屋敷に住んでいました。
中にはかべがなく、季節や行事に合わせて自由に模様がえをしていたそうです。
平安京には生活基盤が整備されていた
その一つが、近くの川を利用した「津(つ)」とよばれる港です。
川と船により、大量の食料や物資が港に集められ、都へ運びこまれました。
そして、東西にある二つの大きな市(いち)で人々に供給されました。
桓武天皇がつくった平安京は、およそ400年にわたる平安時代の都として栄えました。
平城京の貴族の生活
桓武天皇は、奈良時代の平城京の最後の天皇です。
710年に、唐の都、長安をまねて造りました。
乱れた政治を立て直すため都を移した
都では有力な貴族たちの勢力争いが起きていました。
さらに桓武天皇をなやませたのが、先の天皇によって保護され、権力を持った僧侶(そうりょ)たちです。
かれらは政治にまで口を出すようになり、国が乱れました。
そこで桓武天皇は都を移すことを決断します。
都を京都の長岡京に移し、さらに794年には今の京都市に移しました。
平安京はどんな都だった?
街は碁盤(ごばん)の目のように区分けされ、大勢の人が住んでいました。
中央を南北につらぬくのが、朱雀大路(すざくおおじ)です。
そのいちばん北側には、天皇が住む宮殿や役所がありました。
そして貴族たちは、「寝殿造(しんでんづくり)」とよばれる屋敷に住んでいました。
中にはかべがなく、季節や行事に合わせて自由に模様がえをしていたそうです。
平安京には生活基盤が整備されていた
その一つが、近くの川を利用した「津(つ)」とよばれる港です。
川と船により、大量の食料や物資が港に集められ、都へ運びこまれました。
そして、東西にある二つの大きな市(いち)で人々に供給されました。
桓武天皇がつくった平安京は、およそ400年にわたる平安時代の都として栄えました。
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