後藤新平:社会に責任を持った市民になれ(NK2012/10/22)


後藤新平に学ぶ「公」 青山●さんに聞く
求められる責任ある市民 次代の担い手育成を

2011/10/22付
日本経済新聞 夕刊
2468文字
 ※見出しの●はにんべんに八と月
 大風呂敷でなく、仕事ぶりは堅実
 党利党略や縦割り行政で政治や官僚機構が行き詰まる中、後藤新平が注目を集めている。関東大震災の復興をはじめ都市や国家の経営で辣腕を振るった根底には、次世代を見据え国益を第一に考える公共精神があった。既得権にしがみつく人が多い平成日本で、「公」の心を取り戻すにはどうしたらいいか。郷仙太郎のペンネームで「小説 後藤新平」を書いた元東京都副知事の青山●さんに聞いた。
 「後藤新平を知ったのは杉森久英さんの『大風呂敷』という小説です。後藤を描いた小説で、これを読んだ私は彼が豪放磊落(らいらく)で、大風呂敷を広げて大言壮語を吐く人物だと思ってしまった。ところが都庁に入り、それが間違いだったことに気付いた。後藤が東京市長だったころの業績を見ると、地味ながら、やるべきことを着実にやっていた。小説を書いたのは真の姿を伝えたいと思ったからです」
 「東京市長時代に後藤は市の年間予算の6倍に当たる8億円の東京改造計画をつくります。大風呂敷と批判されましたが、内容を見ると、上下水道や道路、学校、ごみ処理施設の整備など堅実なことしか書いてない。計画の期間は10~15年。決して大風呂敷ではなかったのです」
 後藤は関東大震災の時に内相として震災復興に当たる
 「昭和通り、靖国通り、晴海通りなど東京の幹線道路はいずれも、後藤がまとめた帝都復興計画で造られました。昭和通りは幅44メートル。当時破格の道路といわれましたが、自動車時代の到来を見越していたのです。吾妻橋や駒形橋、厩橋など隅田川の橋も造られ、今日まだ使われています。後藤に将来の日本を考える公共精神があったからでしょう」
 「震災復興は地主などの反発で大幅に計画が縮小されました。区画整理をすると道路や公園の用地確保のため地主の土地が減少するからです。でも道路などができることで土地の価値は上がります。反対に苦しみながらも後藤は東京を欧米に負けない近代都市にすると訴えた。その結果、震災で焼失した面積を上回る区画整理が実現しています」
 台湾では現地の事情を尊重し殖産興業を行う
 後藤はもともと医者。内務省の衛生局長を手始めに官僚・政治家の道に進む。東京市長や閣僚になる前は台湾民政長官や満鉄総裁を務めた。
 「彼は植民地でも殖産興業を実施し、地域の人々を豊かにすることを目指しました。台湾では『ヒラメの目をタイの目にすることはできない』という有名な『生物学の法則』で植民地経営を行った。現地の習慣や制度を尊重し、日本のやり方を押し付けなかった。現地で問題になっていたアヘンの流行とゲリラの暗躍に対しても、強圧的な手段を取らずに漸進的に解決を図りました。また砂糖に着目、産業として育成しました」
 「台湾の植民地経営は日本を潤しただけでなく、インフラ整備で台湾にも利益をもたらした。当時の台湾の上下水道は日本より立派だったといわれています。韓国に比べ、台湾で植民地時代への反発が少ないのは、後藤の現地尊重政策があったからでしょう」
 「後藤の公共精神は少年期に培われた」とみる。
 「後藤は戊辰(ぼしん)戦争で新政府軍に敗れた水沢藩の下級武士の子どもでした。占領軍の西南諸藩は恩讐(おんしゅう)を超えて東北各藩から優秀な少年を集め、身銭を切って教育の機会を与えた。後藤も熊本藩出身の官僚、安場保和らの世話になる。当時は社会全体で人材を育てようという気風がありました。後藤もそうした時代の空気を吸い、自分も人々の役に立とうという気持ちになったのだと思います」
 「自らも人材の育成に熱心でした。台湾では新渡戸稲造、鉄道院総裁時代は後に国鉄総裁になる十河信二を登用し、育てた。『金を残す者は下、仕事を残す者は中、人を残す者が上』という後藤の言葉にその思想が表れています」
 政治の倫理化を市民に呼びかける
 後藤の公共精神を表す言葉が「自治三訣(けつ)」だ。
 「自治三訣は『人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう』という後藤の言葉です。これは晩年の後藤が心血を注いだボーイスカウト運動のモットーですが、国民に対し責任ある市民像を求めた言葉ととることができます」
 「後藤は国益重視で自分が提案した政策が国会で反対され、計画が縮小されるという目に何度も遭っています。政党が党の利益だけを考え、社会全体の利益を考えないと政党政治への不信感が強かった。そこで晩年は政治の倫理化運動に乗り出し、政治の腐敗防止を訴えます。後藤がユニークだったのは、それを政治家ではなく、一般の市民に向けて呼びかけたことです」
 「政治家だけが倫理観を持っても政治の倫理化はできない。市民が政治家に私的なお願い事をするのを慎むべきだと考えた。後藤は東京市長時代に『市民一人ひとりが市長である』と言っています。晩年、政治の倫理化とともにボーイスカウトに力を入れたのは、若いうちから公共精神を養うことが大事だと気付いていたからでしょう」
 「責任ある市民になることが後藤の遺言」という。
 「行政マンが後藤から学ばなくてはならない最大の点は、日本の将来のために良いことなら、不人気な政策でもひるまずにやるということに尽きます。一方、一般市民にとっては何か。社会に責任を持った市民になるということです。東日本大震災の被災者支援でも早くから非営利組織(NPO)が活躍した。日本の市民活動も力を付けていますが、先鋭的な団体が頑張っているだけで、すそ野はそれほど広くない気がします。新しい公共の担い手をもっと育てることがこれからの日本の大きな課題です」
(編集委員 藤巻秀樹)
 あおやま・やすし 明治大学公共政策大学院教授。1943年東京生まれ。中央大学法学部卒。67年に東京都庁に入り、高齢福祉部長などを経て99年から2003年まで副知事。04年から現職。藤原書店が事務局の「後藤新平の会」の幹事。著書に「東京都副知事ノート」「後藤新平の『仕事』」(共著)などがある。
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